「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑤
<4>新生ドイツ共和国政府
選挙も終わり、臨時政府(便宜上そう呼ぶ)は2月6日に国民議会を召集した。
まだ、ベルリンは不穏の状態が続いていたために、国会はワイマールに召集された。
まず国会は、臨時憲法案(最終憲法草案)の可決を可決し、
それに伴って大統領の選出に移った。
大統領には、「人民代表委員会議」の牽引者エーベルトが、
379票中277票を獲得して初代大統領に選任された。
彼は、この数ヶ月で社会民主党ばかりではなく
広い層から信頼を勝ち得ていたといえるので、この結果はある意味当然とも言えた。
エーベルトに課せられた次の仕事は、国会の総意に基づく新政府の任命であった。
議会で多数派を構成する方法は、主に以下の二つであった。
(1)非社会主義政党の糾合(226/421)
(2)社会民主党(エーベルトの所属政党)と中央党(第2党、共和主義)、
民主党(第3党、共和主義)との連立
エーベルトが選べるのは当然(2)のみであった。所属党であることはもちろんのこと、
民意の反映と言う意味から言っても当然の選択と言えた。
以下は、エーベルトによって選任された内閣の主要ポストである。
首相 シャイデマン(「人民代表委員会議」メンバー)
国防軍(旧陸軍)担当大臣 ノスケ(「人民代表委員会議」メンバー)
法務大臣 ランツベルク(「人民代表委員会議」メンバー)
内務大臣 プロイス(民主党)
大蔵大臣 シッファー(旧国民自由党員)
国務大臣 ゴータイン
そのほか、中央党からエルツベルガー、ベル博士、ギースベルツが入閣
これを見ればわかるが、新生ドイツ政府は3党連立政府であり、議会内では
総議席のじつに3/4(326/421)を占める大勢力となった。
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