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「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-③

<2>休戦後の混乱

前回より少し日付は戻って、1918年11月8日。

ドイツ皇帝の退位を受けて元国務大臣シャイデマンは、

国会議事堂の窓より共和制を宣言し、それに数千人の民衆が拍手喝采を送った。

シャイデマンには野心があった。

彼が属する社会民主党(以下社民党)は社会主義政党であり、かつ野党であった。

彼は、この気に一気に共和制を宣言しその中心に自分たちがを置かんとした。

一方、帝国宰相の位をマックス大公から譲られたエーベルトは慎重派であった。

講和交渉もいまだままならないと言うのに、

王権派と事を構えるような共和制へ移行したのでは

まさに内憂外患そのものであったからである。

しかし、シャイデマンの宣言は既に独り歩きを始めており、

取消不明なものとなってしまっていた。

結果、社民党を首班とする新ドイツ国政府が暫定的に成立することになった。

政権に参加したのは、社会民主党以外には独立社会民主党(以下独立党)という、

社民党から以前分化した過激派の党である。

しかし、独立党は入閣の条件として

「全労働者住民及び兵士から選ばれた代表委員」に全権力を集中させるべきとし、

社民党もこれをしぶしぶ了承した。

社民党としては国民議会の早期開催を願ったが、

ひとまずは講和をまとめるために政府を確固たるものにするべきであろうという

現実論を優先させたのであろう。

しかし、1度袂を分かった者が、

国家の危難とためとはいえ再び手に手をとってという訳には行かず、

この関係は2月とはもたなかった。

原因は、ベルリンの旧王宮を占拠した「人民海兵団」に対して政府が軍隊を投入して

これを鎮圧しようとした行為を、独立党が軍国主義復活の兆しと考えたからであった。

残された社民党政府は、混乱を鎮め地歩を築くために止む無く軍に頼ることとなった。

とはいえ、軍も長い戦乱の後ですっかり疲弊しきっていた。

そこで政府は、軍に顔の利くグスタフ・ノスケを「人民代表委員会議」の委員に加え、

さらに彼を戒厳司令官に任じた。

彼が率いた新設部隊には経験豊富な旧帝国軍の職業将校も編入されていた。

そのことは初めは問題にならなかったがベルリンの騒乱が収まってくるころには、

将校たちの間には自負心の著しい高揚が、

ブルジョア階級出身者が中心であった隊員の中にはこの騒乱を以って

「ドイツには民主主義も共和制も適さないのではないか」という懸念を抱く者を生じさせた。

しかし、非常事態であること自体が彼らを一つの共同体として

強引に結び付けていたのであった。

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