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「新・中央競馬予想戦記」 今開催を振り返って-③

10/22の結果
 
1分(いちょうS) 8敗
10/23の結果
 11

10/29の結果
 9敗
10/30の結果
 11

この2週間、本当にひどい。このあと今開催を振り返るが、
とにかくどうしようもない内容。

しかし、予想自体が外れてるので本当にどうしようもない内容です…。

今開催を振り返って
(と言っても全体的に悪いので、損害軽微なところだけを)
 ①1000万下ががんばってくれた(27戦通算回収率53.6%)

 ②芝長距離で踏ん張った(7戦通算回収率52.3%)

次回、開催競馬場が変わらないのはマイナス材料かも。
今開催の悪いイメージをどこかで払拭しないことには、
このトンネルは抜けられなさそうな感じが・・・。
ひとまず、条件戦は損害少な目の複勝1点買いで様子見です。

「新・中央競馬予想戦記」 10/30

東京07R くるみ賞(2歳500万下 芝短)
  ◎ ⑦アポロノサトリ
  ○ ⑨フィールドカイザー
  ▲ ⑤ミズサワゲンキ

東京08R 紅葉特別(3上1000万下 芝短)
  ◎ ①イブロン
  ○ ⑪ファインセラ
  ▲ ⑦キラリダイヤモンド

東京09R 白秋S(3上1600万下 芝短)
  ◎ ⑭ダイワメンフィス
  ○ ③ヴリル
  ▲ ⑨チアフルワールド

東京10R 天皇賞(秋)(3上GⅠ 芝中)
  ◎ ⑬ゼンノロブロイ
  ○ ⑯サンライズペガサス
  ▲ ⑦ホオキパウェーブ
 本命は、去年の覇者⑬。去年よりも不安要素は多いがその力はワールドクラスだ。
 対抗は、GⅡ3勝で前走も勝っている⑯。
 年齢的に言っても今回が最後のチャンスだろう。
 東京でもいい時計を出しており、その力を出せば逆転も充分。
 3番手には、前走久しぶりに重賞を勝った⑦。
 休み明け3戦目で今回は走り頃と見る。
 あとは、距離がどうなのか。やや短いようにも思われるのだが、克服すれば面白い。

東京11R 多摩川特別(3上1000万下 D短)
  ◎ ⑬スターボイジャー
  ○ ⑯アドマイヤベッカム
  ▲ ⑩ナムラモンスター

京都09R 保津峡特別(3上1000万下 芝短)
  ◎ ②トーワクリスタル
  ○ ③マイネルリバティー
  ▲ ①ゴージャスディナー

京都10R 高雄特別(3上1000万下 芝長)
  ◎ ②バイロイト
  ○ ③プロンタテヤマ
  ▲ ⑤タニノボルガ

京都11R 渡月橋S(3上1600万下 芝短)
  ◎ ⑪チェリーライオー
  ○ ⑨インセンティブガイ
  ▲ ②ヒューマ

福島10R きんもくせい特別(2歳500万下 芝中)
  ◎ ②ヒシハイグレード
  ○ ⑩メジロボンズ
  ▲ ④コスモスカイライン

福島11R 河北新報杯(3上1000万下 芝短)
  ◎ ⑨アンテリオール
  ○ ⑭ゴールドクラウン
  ▲ ⑧アルフェッカ

福島12R 土湯温泉特別(3上500万下 芝中)
  ◎ ④アサカユウキ
  ○ ③シンボリプレオ
  ▲ ①チョウカイキセキ

「新・中央競馬予想戦記」 10/29

都合により、10/22~10/30分の成績はまとめて報告いたします。
ご了承ください。

東京09R 河口湖特別(3上1000万下 D短)
  ◎ ②セクシーシューズ
  ○ ⑪フロムアップランド
  ▲ ⑫ピクシーダスト

東京10R 精進湖特別(3上1000万下 芝中)
  ◎ ⑧ルーベンスメモリー
  ○ ⑦マチカネキララ
  ▲ ⑨メジロベネット

東京11R 武蔵野S(3上GⅢ D短)
  ◎ ⑧カネヒキリ
  ○ ⑫トウショウギア
  ▲ ⑦ドンクール
 ここは4連勝中の⑧を本命からは外せない。
 輸送を考えれば名古屋のJBCでも良かったような気もするが、
 この条件は実績もあるのでここは通過点だろう。
 対抗は、近走内容充実の⑫。ダート1600m(2-0-0-0)と相性もいい。
 3番手は、前走OPで2着した⑦。
 ⑧と同世代ということでずいぶん損をしている感もあるが、
 この距離にも実績はあり、逆転はともかく⑧との1-2フィニッシュも充分。

京都09R 萩S(2歳OP 芝中)
  ◎ ⑦メイショウサムソン
  ○ ⑧オースミタキオン
  ▲ ①ロジック

京都10R 比叡S(3上1600万下 芝長)
  ◎ ④アドマイヤモナーク
  ○ ⑦サザンツイスター
  ▲ ⑤ダイタクアルビン

京都11R スワンS(3上GⅡ 芝短)
  ◎ ⑰ギャラントアロー
  ○ ⑬リキアイタイカン
  ▲ ⑯キーンランドスワン
 これといった決め手の無いメンバーが揃った難解な一戦。
 本命は、京都(3-2-1-3)と安定した成績を挙げている⑰。
 とはいえこの斤量に実績が無いので、それほど強くは押せない。
 対抗は、老いてもまだまだ力のあるところを見せる⑬。
 ひょっとすると1400mでも長いのかもしれないが、
 平坦な京都の馬場ならそのポテンシャルを充分発揮できるだろう。
 3番手は、京都5勝の⑯。外人騎手に期待で逆転も充分。

福島10R 奥只見特別(3上500万下 芝中)
  ◎ ③チョウノゾミ
  ○ ⑫マイネルモンシェリ
  ▲ ⑪ケイエスジェネラス

福島11R 福島放送賞(3上1000万下 D中)
  ◎ ⑮フィールドルーキー
  ○ ⑨エスユーガーデン
  ▲ ⑬ロマニスタ

福島12R 秋元湖特別(3上500万下 芝短)
  ◎ ⑭サイキョウワールド
  ○ ⑨カイシュウムサシ
  ▲ ②トーワユメジ

「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑲

<18>比例代表制の罠と、独裁者待望論

杉村太蔵という男がいる。

彼こそ、今回の選挙に咲いた徒花の一つであろう。

同郷の人間をあまり悪く言いたくはないが、武部勤が

「彼(タイゾー)は、今参議院の全国区に出れば間違いなく最多得票で当選するだろう」

とまで言った。

彼が選挙活動でもしようものなら、必ずやボロが出るであろうことは、

他ならぬ自民党が彼に緘口令を敷いていることからも明らかである。

とまぁ、しょう~もない話から始めてしまったわけでありますが、

彼のようなどうしようもない人間でも当選する可能性を持つ選挙制度こそ、

これから問題にする「比例代表制」なのである。

ワイマール憲法においては、国民議会議員を選出するためには

必ず全数を比例代表制で選挙するように明記されている(ワイマール憲法第22条)。

メリットは、全有権者の票が平等に扱われる点である。

また、死票が無いため全有権者の意見が素直に議席に反映される。

しかし、この制度では政治家ではなく政党を選ぶ方式になってしまうために、

民意が非常にアバウトな形でしか政治に届かなくなってしまう。

また、それこそタイゾーのような怪しげな人間でも当選できる可能性を残してしまう。

1930年のナチス党も、これと同様にずいぶんと怪しげな人間を

比例名簿に書き込んでいた。

当のヒトラーはもちろんのこと(ミュンヘン一揆の首謀者として実刑を受けている)、

政治的暗殺犯の前科を持つハイネスという男が名簿に書き込まれていたのである。

そして、ドイツがほんの10数年前まで君主制を採っていたことも少なからず影響した。

君主制とは、言うなれば君主が何でも決めてくれる制度である。

考えようによっては、これほど気楽な制度はない。

善政を敷く者なら、その人に全て委ねていればいいわけだし、

悪政を敷く者ならば、その人の責任できる。

しかし民主主義というのは、その迂遠さ以上に責任の一端を負う

(実際にそんな人はいないだろうが)面倒な制度なのである。

そこに、ヒトラーという指導者の役を買ってでるような男が現れたのである。

彼は、さほど広くないドイツという国土を飛行機を使って精力的に遊説し、

その得意の弁舌を振るった。彼の感情的な言葉が人々の心情に直接的に訴え、

人々はそれに魅了され感銘を受けた。

それが、投票活動に結びつきナチス党の大躍進に貢献したのである。

翻って日本である。日本には、実は独裁の時代というものが存在しない。

武家政権が独裁だと思っているものもいるかもしれないが、

かれらでさえも、民衆を直接支配していたわけではない。

形式的には明治天皇が独裁に近かったのだが

(ドイツ帝国を手本に国家作りを始めたのだから当たり前なのだが)、

それが徹底されなかったのは、憲法を作ったのが実際には天皇ではなく

臣たる伊藤博文たちだったからである。

そのツケが出るのが第2次世界大戦である。

昭和天皇にはあの戦争を抑える術を実は持たされていなかった。

いや、正確にはあったのかも知れないが、

天皇にはそれができなかったのではなかろうか。

御前会議というものが、実は厄介な制度である。

あれは、天皇の前で文官のトップと武官のトップが話し合うというものだが、

天皇はそこでの決定に実際には異議を唱えることができないとされている。

つまり、国家の最重要決定機関に天皇は見ているだけの役なのである。

よって、戦前の日本もまた独裁ではないといえるのである。

現在、小泉を「現代の信長」ともてはやすものがいる。

日本史上において、恐らく信長こそもっとも独裁に近い存在であっただろう。

ということは、現代の日本国民は心の底では独裁を望んでいるのではないだろうか。

兆しは無いわけではない。例えばオウム真理教(現アーレフ)である。

麻原彰晃に惹かれたのはその断定的な口調であったからだともいわれている。

彼、もしくは彼の周辺はヒトラーとナチス党のことを研究したのではないだろうか。

そして、その理論を応用してオウムを拡大していったのではなかろうか。

そして小泉である。

今日決められた造反議員への向かい方をみても、

彼の行く先には「ヒトラー」か「裸の王様」が見え隠れするのだが・・・。

「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑱

<17>ナチス躍進と自民党躍進

1930年の国民議会選挙において、ヒトラー率いるナチス党は復活を果たした。

1928年の選挙ではわずか12人の党がこのとき一気に107人を送り出したのである。

躍進の理由は、まずナチスが布教によって煽りを食らった

大量の失業者の受け皿たりえたことである。

ヒトラーは得意の弁舌によって、この不況を世界恐慌に求めるのではなく

あくまでも政府の失策に求め、具体的には政府が取り結んだ

ヤング案によるものであるとした。

民衆にとってこのことはわかりやすく受け入れやすかったのである。

この点こそ、まさに小泉がこのたびとった戦術と全く同じであり、

このときに採った民衆の態度もさほど変わるものではなかった。

彼ら、すなわち当時のドイツ国民も現在の日本国民も、

ヒトラーの、そして小泉の言を信じた、いや信じたかったのだ。

つまり、彼らの甘言を妄信したのだ。

また、ヒトラーは農民層に強い地盤を持っていた。

農村に対しては現政府も大規模な救済政策を採っていたが、

それがまだ効果を現す前であったために政府側に利さなかったのである。

さらに、インフレがもたらした中産階級の分解がナチスに利した。

彼らは、戦前の明るい生活と戦後の暗い生活を比較して、

今の政府に頼っていたのでは到底過去の安楽な生活は得られることは無く、

それならばと急進的に自分たちを導いてくれるであろうナチスに賭けたのだ。

これもまた、現在日本が置かれている日本の状況に近いものがある。

過去、日本にはバブルと呼ばれる時代があった。

その甘い蜜を吸うほどではないにしろ、

あの明るい時代を忘れられない人々は少なくなかろう。

それに比べて、今は国がいくら「景気は回復局面にある」とは言っても、

その実感に乏しいのが現実であるという決して明るい時代とは言えない状況である。

しかし当時のドイツとの違いは、ナチスのような受け皿を

日本の政党政治が持ち得なかった点である。

よって、票は改革を唱える小泉に流れた。

しかし、この票はあくまでも小泉に流れたものであって、

自民党に流れたものではないと言うことを

自民党は、いやポスト小泉と呼ばれる人々は肝に銘じておかなくてはならないだろう。

この話は、もう少し続く。

次回は、ワイマール憲法が持つ致命的な問題の一つ、選挙制度について考察する。

                                          (続く)

「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑰

<15>~閑話休題~ 増税と減税 その2

1930年1月のハーグ会議で、ドイツ使節団は交渉に勝って

ヤング案という賠償金の軽減案の締結に成功した。

しかし、いまやドイツ経済の実権を握る男、国立銀行総裁のシャハトが、

この会議に一石を投じた。

彼は、この会議上ドイツ国立銀行が国際決済銀行への参加条件に

ヴェルサイユ条約のドイツに対する制裁条項の全面無効化などを要求したのである。

しかし、それは他の各国の中央銀行代表者に冷たくあしらわれる。

しかし、そのことを彼は政府代表団に隠していたために状況はさらに悪化し、

シャハトは結局その地位を追われることとなる。

その後、ドイツ国民議会の承認を経てこの案は正式に発行することにあるのだが、

これによって浮いた国家予算の使われ方が今度は問題になった。

と言うのも、世界恐慌による大不況で著しい税収減と

大量の失業者の発生に伴う多額の失業保険支払いによって

国家財政は逼迫していたからである。

政府は、ドイツ農業救済計画の一環として農産物の輸入関税引き上げを敢行した。

しかし失業者の増加は止まらず、

政府は失業保険庁に対して国庫借入金を投入して当座をしのいだ。

しかし、その後の処理に失敗したりしたことについては先に書いたとおりである。

日本の税収不足、保険料収入の不足は深刻である。

日本もまた、これに対して負担増を国民に迫ろうとしている。

しかも、ドイツよりもたちが悪いことに国会が1つの党によって

ほぼ支配されてしまっている点である。

次回からは再びヒトラーが登場する。

ここから先は、国民の暴走がいかにして国家を危地に追い込むか

という過程を見ていくことになる。

しかし、その手の研究はある程度なされてしまっているわけだから、

わたしとしては今まであまり注目されていなかった当時の経済状況などについても

掘り下げていきたいと思う。

なぜなら、当時のドイツも今の日本も財政面はまっかっかと言う点では

同じことなのだから…。

「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑯

<15>~閑話休題~ 増税と減税

前回、ミュラー内閣やブリューニング内閣が財政再建に失敗して倒閣した話をしたが、

時あたかも日本でも同様の論議がなされている。

まぁ、こういう背景があって、今回こういうものを書いていこうと考えたわけであるが…。

では、この当時出された財政再建案などについて、

現在の日本の状況を踏まえつつ考察を加えていきたいと思う。

世界経済全体を比較すると、まず、1929年に世界恐慌が始まっている。

現在は少なくともそうではなかろうが、

石油の状況などを考えるとあまり安穏としていられる状況でもない。

比較対象としては当たらずとも遠からずといったところだろうか。

両国の経済状況を考えると、いずれも「失われた」時代を経過しており、

やはり似たような道を歩んでいると言えなくはない。

現代日本の失業率は、世界経済全体の水準から言えば決して高い水準とは言えないが、

日本史上で言えば高水準といえるだろう。

その上、税収入や国家財政を脅かす要素が少なくない。

例えば国民年金の未払い問題や、厚生年金からの離脱などが例として挙げられるだろう。

一方、当時のドイツにとっての大問題は失業保険であった。

ドイツの失業保険は、日本の厚生年金と同様雇用主と労働者の双方負担であった。

しかし、失業者の急増でその収入では失業給付が不可能となっていた。

政府は、担当省庁である失業保険庁に対して公金を貸し付けるという形で、

当座をしのいでいたが、当然失業保険庁に返す当てなどあるはずもなく、

公金(要するに税金)の持ち出しだけが膨らむことになるだけであった。

1929年6月末の時点で、貸付金は3億ライヒマルクを超えており、

政府はその対策を迫られていた。

方法など、古今変わる所がない。支払い金額を減らすか、負担を増やすかだけである。

日本では常に後者の策を採るばかりであるが、ドイツでは国家を2分した。

すなわち、労使が全面対決の姿勢をとったのである。

この差に関しては、時代的な背景も関係するので一概に比較することはできないが、

学生運動の終焉以来日本人はすっかり牙が抜かれてしまっているので、

まぁ、こうなることは考えられないでしょう。

しかし、これによって連立政権が分裂してしまったことはドイツにとって不幸であった。

さらに悪いことに、この時期関係閣僚である大蔵大臣と経済大臣が揃って

賠償金についての会議でドイツ国内を留守にしていた。

その間に参議院によって妥協案が可決され、それが保険料の引き上げだったために

雇用主団体からの猛抗議にさらされる結果になってしまった。

そののち、曲折を経てこの妥協案は大幅な修正をもって世に出たわけだが、

その曲折は政府に大きな亀裂を生むことになってしまった。

しかも、先の持ち出しのために政府は公債を発行していたために、

財政の危機は去ったどころかますます危うくなっていたわけである。

この状況を利用して国立銀行総裁が国家財政を壟断しようとしたが、

それは大蔵次官ポピッツによって阻止された。

その一方で彼は、アメリカの銀行に借り入れを打診したが、

今度はそれを国立銀行総裁によって阻まれてしまう。まさに足の引っ張り合いである。

結局首相は、大蔵大臣を更迭し、国立銀行総裁に屈するしかなくなってしまう。

それほどまでにドイツ財政は逼迫していたのである。

財政建て直しのために、関税の引き上げ、タバコ税の新設、

そして一度は修正されて棚上げになった失業保険負担率の引き上げ決めてしまった。

このことが当然ながら更なる分裂の火種を生むことになるが、

この話はまだまだ続くので今日のところはココまでに。     (続く)

「新・中央競馬予想戦記」 10/23

都合により、10/22分の成績は来週まとめて報告いたします。
ご了承ください。

東京09R 南武特別(3上1000万下 芝長)
  ◎ ①サンデーストリーム
  ○ ⑥モエレエルコンドル
  ▲ ⑪メジロニコラス

東京10R 錦秋特別(3上1000万下 芝短)
  ◎ ⑤ムーンシャイン
  ○ ⑬フェザーレイ
  ▲ ⑦ピサノグラフ

東京11R TV静岡賞(3上1600万下 芝中)
  ◎ ⑥スウィフトカレント
  ○ ⑧ビッグコング
  ▲ ⑦エキゾーストノート

京都08R かえで賞(2歳500万下 芝短)
  ◎ ⑥マチカネニオウミヤ
  ○ ⑪ラッキーリップス
  ▲ ④ユウカージナル

京都09R 清滝特別(3上1000万下 芝中)
  ◎ ⑫ディアチャンス
  ○ ⑪ストラタジェム
  ▲ ⑥シンメイセレニティ

京都10R 太秦S(3上1600万下 D短)
  ◎ ⑯リンガスローレル
  ○ ⑭ラガーリーダー
  ▲ ②サワノブレイブ

京都11R 菊花賞(3歳GⅠ 芝長)
  ◎ ⑦ディープインパクト
  ○ ⑭フサイチアウステル
  ▲ ④ローゼンクロイツ
 本命は、いまさら言うまでもない。6戦6勝で世代の出世頭の⑦で決まり。
 一方、対抗は⑦と当ってなくて⑦よりも長い距離を経験している⑭を抜擢。
 前走も勝ち馬に肉薄しており、一気の上位進出も充分と見る。
 3番手は、一族悲願のGⅠ達成なるかの④。
 関東へ遠征したGⅠ2戦は今ひとつの成績だったが、
 京都の実績は(2-1-0-0)と得意にしている。
 逆転云々まではあえて言わないが、上位進出は充分と見る。

京都12R 愛宕特別(3上1000万下 D中)
  ◎ ⑩メイショウエイシ
  ○ ④ラッキーブレイク
  ▲ ②シルクデスペラード

福島10R 相馬特別(3上500万下 D中)
  ◎ ⑭ローズカクテル
  ○ ①ニシノオウヒ
  ▲ ④ニシノガルーダ

福島11R 福島民友C(3上OP 芝短)
  ◎ ⑪リミットレスビッド  近走実績安定
  ○ ②ペニーホイッスル  距離実績高い
  ▲ ①カネツテンビー   OPでもやれる

福島12R 原町特別(3上500万下 芝中)
  ◎ ①ヤマニンスプラウト
  ○ ③マドモアゼルドパリ
  ▲ ⑭ロフティーエイム

「新・中央競馬予想戦記」 10/22

日曜日の結果
 7敗

 回収率     0.0%
 通算回収率 67.5%
 1週間全く馬券が取れず。
 何が悪いって、予想自体が悪いのだからどうしようもない。
 この1週間で1%減少しているので、
 1発勝負で条件戦を3連複に変更して起死回生を狙います。

東京09R いちょうS(2歳OP 芝短)
  ◎ ⑤マイネルメロス
  ○ ⑥ニシノイツマデモ
  ▲ ④ジャリスコライド

東京10R 銀蹄S(3上1600万下 D中)
  ◎ ①ブルートルネード
  ○ ⑩アップドラフト
  ▲ ⑬タイキヴァンペール

中山11R 富士S(3GⅢ 芝短)
  ◎ ⑭キネティクス
  ○ ⑫ウインラディウス
  ▲ ①ニシノシタン
 本命は、休み明けを1つ叩いた⑭。東京マイル戦の相性も悪くない。
 鞍上も池添騎手に戻るのは良さそう。
 対抗は、前走より禁猟が減るのが好材料の⑫。
 マイルより短いところが得意なようだが、マイルももちろん守備範囲内だ。
 3番手は、斤量は増えるが復調気配の①。
 左回りというところにも若干不安を残すが、
 内枠を利した逃げが決まれば上位も充分ある。

京都09R 天王山特別(3上1000万下 D短)
  ◎ ②パレスエース
  ○ ⑨ジョイフルハート
  ▲ ⑩ヤマノルドルフ

京都10R 久多特別(3上1000万下 芝短)
  ◎ ④グレイシアブルー
  ○ ⑥ブリリアントグレイ
  ▲ ⑬パノラマビューティ

京都11R オパールS(3上OP 芝中)
  ◎ ⑧エイシンニーザン  鞍上に期待
  ○ ④キーボランチ     距離はこなせる
  ▲ ⑩アサカディフィート  このメンバーなら

福島10R 蔵王特別(3上500万下 芝長)
  ◎ ④イナズマローレル
  ○ ⑨パルクエクスプレス
  ▲ ⑧サンエルキャピタン

福島11R 西郷特別(3上1000万下 芝中)
  ◎ ⑩ソリッドスライダー
  ○ ⑤ホシノプレゼント
  ▲ ⑫フェスティヴナイト

福島12R 会津特別(3上500万下 芝短)
  ◎ ④ドルバコ
  ○ ①アグネスラズベリ
  ▲ ③ピサノキャニオン

「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑮

<14>世界恐慌

1929年6月、賠償問題専門委員会は5年前に出されたドーズ案をもってしても

進捗しない賠償金の支払いに対してヤング案という新案を発表した。

これは、賠償金金額を減額し、さらに年あたりの支払い金額に関しても

将来的には減額することなどを盛り込んだものであった。

理由はおそらく、懲罰的もともとの賠償案がこれ以上ドイツ経済を締めつければ、

ブルジョワ政党が敗退し社会主義やナチズムの台頭を

呼び込むことになるのではないかという危惧があったからからではなかろうか。

しかもそのころは世界的に軍縮の機運が高まっており、

いかにヴェルサイユ条約によって軍備を大幅に制限しているからといっても、

暴発した場合にそれを抑えきれるかどうかに疑念があったからではなかろうか。

とはいえ、この案だけ見ればドイツにとって悪い提案ではなく、

事実いくつかの曲折はあったもののこの案は翌1930年3月にこの案は締結された。

しかし、この案がドイツを更なる危機に追い込むのであった。

知ってのとおり、締結の前年1929年の10月に世界を大恐慌が襲う。

ここではドイツに与えた影響についてのみ詳述することにする。

このころ、ドイツは経済の停滞によって失業者が増加していた。

そのことは政府財政を大きく苦しめていた。

一つは税収減であり、今ひとつは失業者に支払われる失業保険の増加であった。

そこに『ヤング案』は舞い込んで来たわけである。

政府内では失業保険の節約と減税を次年度予算に盛り込もうとしていた。

これは明らかに『ヤング案』をあてにしており、

ブルジョワ政党側から見れば完全な人気取りであった。

しかし、労働者の意見を代弁する社会主義政党は当然これに抵抗した。

ヒンデンブルク大統領は、このまま政党間の論議によって政治が停滞することを危惧して、

ミュラー首相に後事を自分に任せるように言って、

ミュラーに内閣総辞職するように言った。

3月27日、ミュラーは内閣を総辞職し、

ヒンデンブルクは2日後に前蔵相ブリューニングを首相とする内閣を立てさせた。

これは実質的な傀儡政権であり、

内閣から社会民主党を追い出すためだけのものであった。

ヒンデンブルクは、7月に財政再建のために増税案と財政支出の引き締めの両案を

大統領緊急命令によって議会に提出したが、

下野した社会民主党などに当然のように反対され、内閣は議会を解散させた。

以下は、それを受けて9月に行われた国民議会選挙の結果である。

(比較対照は1928年5月におこなわれた国民議会選挙の結果)

社会民主党     153→143

中央党         62→ 68

民主党         25→ 20

国家人民党      73→ 41

ドイツ人民党      24→ 30

共産党         54→ 77

バイエルン国民党   16→ 19

農業者同盟        3→  3

農村住民運動     10→ 19

農民党           8→   6

ナチス党         12→107

なんと言っても注目すべきはナチスの大躍進である。

この選挙で一気に第2党に躍進している。 

また、共産党も確実に票を伸ばして第3党に食い込んだ。

解散の原因を作ったヒンデンブルクは、選挙後組閣したが、

それは旧貴族階級を中心に作られたもので、

到底議会の信任を得られるものではなかった。

この選挙の結果により、中央政府はよりナチスを危険視するようになった。

「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑭

<13>つかの間の平和

ヒトラー率いるナチ党意外にも、中央政府は多くの悩みを抱えていた。

そのうちの一つは、インフレは収まることを知らなかった。

そこで政府は新通貨「レンテンマルク」を発行する(1923年11月)。

これはいわゆるデノミネーションで、旧マルクとの交換レートは

1:1,000,000,000,000で通貨発行額なども制限されていた。

これによってインフレはついに沈静化し、

翌年発行されるライヒスマルクへさらにその任は引き継がれた。

また、インフレの直接原因であった賠償金問題にもメスが入れられた。

賠償専門委員会のドーズは、ドイツの国情を考慮して

年間支払額の減額やアメリカからの資金供与を盛り込んだ「ドーズ案」を提示。

議会の賛成を通じて1924年8月16日発効された。

その年の12月に国民議会選挙が行われた。

結果は以下の通り。(比較は1924年5月の議席とのもの)

社会民主党    100→131

中央党        65→ 69

民主党        28→ 32

国家人民党     95→103

ドイツ人民党     45→ 51

共産党        62→ 45

バイエルン人民党  16→ 19

農業者同盟      10→  8

経済党         10→ 17

民族主義者          14

ナチス党        32→ 14

ナチスは、ヒトラーのという強い求心力を失って議席を少なくしている。

一方で、インフレ問題が片付いたせいか共産党が大きく議席を減らしている。

大きく動いたのは社会民主党で、やや議会内での立場が良くなった。

しかし、経済の安定化を受けてブルジョワ政党による内閣

(具体的には中央、ドイツ人民、民主、国家人民の4党連立)

が組閣された(計255議席、占有率50.7%)。

また、この内閣でナチスはついに閣僚を一人送り出した。

さらに、1926年には国際連盟への加盟も果たし国際社会の一員として復帰を遂げた。

世界は、初めて体験した国民戦争「第1次世界大戦」の傷から癒えようとしていた・・・。

「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑬

<12>ミュンヘン一揆

前回に続いてヒトラーの話を。

以前の選挙結果を見てもわかるように、ヒトラー率いるナチ党は、

国民議会にタダの1議席も持ってはいない。

その活動もバイエルン地方に限定されたものであった。

しかし、中央政府はそんなナチを恐れていた。

理由は、まず急速な党員の増加であった。

ヒトラーが党首になった1921年からわずか2年で党員は、

15000人ほどから50000人まで膨れ上がっていた。

そして、ナチは党の私兵集団である突撃隊(SA)もまた恐怖の対象であった。

たとえば、1921年11月のミュンヘンにおける共産党との衝突がある。

極右勢力のナチが左翼の共産党を目の敵にするのは当然のことだが、

こういった過激な手段をその後もとっていくことになる。

そして、それをバイエルン州も容認していた。

もともと、共和国政府に対して反抗的な地方で、バイエルン人民党のような

地方政党を作って国民議会に独自の地歩を築くほどであった。

それに対し中央政府は、ナチの機関紙発行を停止させるなどの手段をとって

牽制してきた。

押さえつけられたナチは、ついにその初期において最大規模のクーデターといえる

いわゆる「ミュンヘン一揆」を起こす。

これは、その前年にイタリアのムッソリーニ(ファシスト党)の起こした

「ローマ進軍」に倣って行われたものである。

1923年11月8日、ミュンヘンのビアホールに集まった右翼政治家を、

ヒトラー率いるSAが包囲。ヒトラーの計画する「国民革命」案に強引に同意させた。

「国民革命」とは、軍に顔が利くルーテンドルフを担ぎ出して、

軍とともに共和国政府を打倒しようとする軍事クーデターの計画である。

しかし、その夜のうちに包囲網を抜け出した右翼政治家は国防軍に駆け込み、

国防軍は一揆鎮圧を命令、翌朝の両軍の衝突をもって鎮圧されてしまう。

ヒトラーはその場を何とか抜け出すものの、2日後に逮捕され裁判にかけられてしまう。

結果ヒトラーは、国家反逆罪で禁固5年の実刑判決(1924年4月)を受け、

ナチ党は路線変更を余儀なくされる(ヒトラーは同年末に釈放される)。

結論から言えば、計画がずさんであり、「ローマ進軍」のように

軍の協力を得ずに行ったことが失敗の大きな原因と言えよう。

しかしこの失敗は、ヒトラーにとって大きな教訓となり

後のドイツ支配において大きな糧となることになる。

「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑫

<11>ヒトラー、歴史にその姿を顕す

アドルフ・ヒトラー。言うまでもなく20世紀を代表する独裁者である。

彼がその名を歴史に記すようになるのは、1919年9月の

ナチ党(当時はドイツ労働者党)入党からであろう。

ヒトラーといえば、「演説」が有名であるが、それは入党前からの才能であったらしい。

その才能をさらに飛躍させたのが、皮肉にも毒ガスであった。

ヒトラーは、大戦末期に毒ガスを浴びて入院していた。

一時的に失明し、さらに喉には一生残る傷を負ってしまった。

しかし、そのせいであの独特の声を手に入れた。

近年の研究では、ヒトラーの声には人を惹きつける波長であったと言われている。

まさに、「禍福は糾える縄の如し」である。

そして、1919年9月のヒトラーが直接入党のきっかけとなる党の集会での話。

彼は軍の情報仕官として、休戦後各地に勃興した新政党の調査をしていた。

その中にドイツ労働者党も当然含まれており、

彼はその集会に参加し、なんとその場で演説者を得意の演説によってやり込めてしまう。

それが党幹部の目に留まり、ヒトラーは入党することになったわけである。

また、軍内でもその才能は磨かれていた。

彼は、軍からプロパガンダの講習を受けており、反社会主義の教育を受けている。

彼の思想はこの頃にある程度固められたと考えていいだろう。

入党後のヒトラーは、その素晴らしい演説によって

瞬く間に多くの党員を獲得して党の中枢部にあっという間に食い込んでいった。

また、1920年2月には党の方針である「25か条綱領」を

アントン・ドレクスラーとともに制定している。

その内容は、国家社会主義、国粋主義(民族優位主義)、反ユダヤ主義を標榜した。

これらのうちの多くはナチスドイツにも継承されており、

すでにこの党が危険思想家の集まりであったことがわかる。

この頃には、ヒトラーは党内でも相当大きな勢力を持っており、

実際翌1921年6月にはヒトラーは党首に就任している。

しかし、そこは民主主義的な政党であるから、

当然党首脳部によって党首の権力は牽制、分散させられているわけである。

ヒトラーは、「25か条綱領」の思想を達成するために党の実権の完全掌握を目指した。

ヒトラーは、党幹部に自らの脱党をちらつかせ、

7月11日には実際に1度脱党している。

それに従うものが相当多かったのか、党幹部はヒトラーの独裁権を容認し、

7月26日に彼は党首として復党を果たす。

そして、彼の復党と同時に党名も「国家社会主義ドイツ労働党(通称ナチ党)」に変更した。

ここにヒトラーは、ドイツ支配の重要な脚ががりを手に入れたわけである。

「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑪

<10>穏健社会主義の敗北

前回のカップ一揆で、内閣がヘルマン・ミュラーに替わった。

それから3ヵ月後の6月、ワイマール憲法施行後初の国民議会選挙が行われた。

結果は以下の通り。

 社会民主党    163→102 (-61)      (与党)

 独立社会民主党  22→ 84 (+62)

 国家人民党     42→ 71 (+49)

 人民党        21→ 65 (+44)

 中央党        91→ 64 (-27) (与党)

 民主党        75→ 39 (-36)

 共産党             4

 バイエルン人民党      21 (中央党から分派)

カップ一揆の処理の不手際からか、まず与党両党が揃って大きく議席を減らした。

一方で、急進社会主義の独立社会民主党や、

国粋主義政党の国家人民党や人民党が躍進した。

この点から見ても、既にドイツ国民が迂遠な議会制民主主義に

限界を感じたような票の動きが見て取れる。

以降も、選挙の結果は何度か書くことになるが、だんだんと民主主義的ではない政党が

台頭してくることがわかっていただけることと思う。

日本は、実は真の意味で独裁体制になったことがない。

どんな時代でもだいたい上位の数名が合議して事に当ってきた。

戦後においても、自民党の1党支配が続いたとはいっても、

各派閥が絶妙のパワーゲームを繰り広げて誰かに偏ると言うことはそれほどなかった。

しかし、小泉はその最後のの天秤である派閥さえ解体して、

事実上総裁による独裁体制を構築してしまった。

日本は、この体制と、いったいどのようにして向かい合っていくのだろうか。

話をドイツに戻す。

第1党を維持したとはいえ、議席を2/3に減らした社会民主党は、

ひとまず元は同じ一つの政党だった独立社会民主党に連立を持ちかけたが、

革命直後に煮え湯を呑まされている独立党はそれを拒否。

今まで通りの中央党との連立だけでは政権を維持できない社会民主党は、

ついに政権与党から身を引くこととなる。

対する中央党は政権与党にこだわり、 以前ともに連立を組んだ民主党と、

今回躍進した国家人民党に働きかけてようやく連立政権を樹立。

首相には中央党のフェーレンバッハが就任した。

しかし、総議席数は174/450という少数与党である。

とはいえ、共和制になって始めてブルジョワ政党によって政権が占められることになり、

西欧各国は、ひとまず社会主義の西進が止まったことを喜んだであろう。

「新・中央競馬予想戦記」 10/16

日曜日の結果
 7敗

 回収率     0.0%
 通算回収率 68.0%
 けっこう久しぶりに坊主。
 OP以上が3レースあったので、ダメージはわりと大きめ。
 日曜日でどのくらい取り返せるか・・・。

東京09R サフラン賞(2歳500万下 芝短)
  ◎ ⑥マイネトップレディ
  ○ ⑨コスモスカイライン
  ▲ ④プレシャスドロップ

東京10R 山中湖特別(3上1000万下 芝短)
  ◎ ⑥ガッテンワン
  ○ ④フェミニンガール
  ▲ ⑤フクノファイン

東京11R 府中牝馬S(3上GⅢ 芝中)
  ◎ ②オースミハルカ
  ○ ⑯マイネソーサリス
  ▲ ⑩ヤマニンアラバスタ
 本命は、休み明けだが芝1800m3勝と得意にしている②。
 去年もこのレースを勝っており、時計も悪くない。
 対抗は、こちらも休み明けだが休み前に連勝している⑯。
 東京コースは初めてだが、この馬も芝1800m(2-1-0-1)と相性のいい距離だ。
 3番手は、新潟で連勝して重賞まで制覇した⑩。
 左回り馬場で全4勝を挙げており、勢いさえ持続していれば逆転も充分だ。

京都08R 御陵特別(3上1000万下 D中)
  ◎ ③ユウキアヴァンセ
  ○ ⑤ルポルタージュ
  ▲ ④ビッグクラウン

京都09R 堀川特別(3上1000万下 芝短)
  ◎ ②スプリングダボス
  ○ ⑨マヤノグレイシー
  ▲ ⑫ツルマルホマレ

京都10R 桂川S(3上1600万下 芝短)
  ◎ ⑩チェリーライオー
  ○ ⑦カネトシディザイア
  ▲ ⑥ポジションワン

京都11R 秋華賞(3歳GⅠ 芝中)
  ◎ ⑤ラインクラフト
  ○ ⑩エアメサイア
  ▲ ⑦レースパイロット
 本命と対抗は拮抗もGⅠ2勝の格を重視して⑤を頭に。
 前走の内容からも、2000mはぎりぎりかもしれないが走破圏内にあると見る。
 対抗は、距離は長い方が良さそうな⑩。
 前走内容から見て調子はこっちの方が良さそう。
 成長力で逆転していれば、ここも前走の再現は可能だろう。
 3番手は、鞍上に期待の⑦。
 休み明けに不安は残るが、京都での実績も2000mの実績もある。

「新・中央競馬予想戦記」 10/15

日曜日の結果
 1勝(壬生特別) 5敗

 回収率    68.2%
 通算回収率 68.5%
 肝心の重賞で狙いすぎてほとんどかすりもせず。
 それでこの回収率ならまあ上出来。
 今週も条件戦は単勝1点買いで出を抑えていきます。

東京09R 東京オータムジャンプ(3上GⅢ 障害)
  ◎ ②ナムラコロンブス  連勝の勢いで
  ○ ⑥テイエムコンバット 重賞2着の実績
  ▲ ⑧バローネフォンテン 一つ叩いて

東京10R 三峰山特別(3上1000万下 D短)
  ◎ ⑭セフティーミキオー
  ○ ⑮マウントフォンテン
  ▲ ⑬アルドラゴン

東京11R 神無月S(3上1600万下 D短)
  ◎ ④ジンクライシス
  ○ ⑭バロンカラノテガミ
  ▲ ⑦ツムジカゼ

東京12R 昇仙峡特別(3上1000万下 芝中)
  ◎ ⑥ケイアイヴェニス
  ○ ⑦トゥーエニワン
  ▲ ⑬シルキーステラ

京都09R 北野特別(3上1000万下 芝中)
  ◎ ⑧グッドネイバー
  ○ ⑬ニシノデュー
  ▲ ⑨トーワクリスタル

京都10R エニフS(3上OP D中)
  ◎ ⑯ウインデュエル   一つ叩いて
  ○ ⑦カイトヒルウインド 連覇も充分
  ▲ ⑭ヒシアトラス     実力上位

京都11R デイリー杯2歳S(2歳GⅡ 芝短)
  ◎ ⑩トーヨースルーオ
  ○ ①マルカシェンク
  ▲ ⑨[地]メイホウポップ
 今年は全馬1勝馬と低レベルな一戦。
 本命は、距離経験と時計で一日の長がある⑩。
 対抗は、前走るは距離が長いが走り切る力は充分の①。
 鞍上も今年乗れている福永騎手で実力は上位と見る。
 3番手は、あえてカク地の⑨を大抜擢。
 相手関係がこのレベルなら芝未経験のこの馬でも芝さえこなせば充分戦えると見る。

「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑩

<9>カップ一揆

今回は、ヴェルサイユ条約がドイツに何をもたらしたかについて。

もちろん、前回書いたようなハイパーインフレに代表される

経済的混乱を招来したのは事実だが、

ドイツ共和国は何しろ立ち上がったばかりでもともと政治的基盤が貧弱である。

ましてや、社会主義政権を首班とする穏健とはいえ社会主義的側面を持つ。

不満分子がそこここにいてある意味しかるべきなのであった。

その端緒となるのが1920年3月に起こった「カップ一揆」である。

リュネハルト率いる2個旅団が3月13日突如ベルリン市内になだれ込んだ。

これに対し、国防大臣ノスケは直ちに国防軍に対して治安出動を命じた。

しかし、国防軍隊務局長ゼークトは国防軍と国防軍が衝突することを避ける

という名目でこの命令を拒否。

エーベルト大統領は大統領府をべルリンからシュツットガルトに遷し、

併せて社会主義政権らしくゼネスト(全同盟罷業)を発動。

社会主義政党は従ったものの、共産党がノスケの方針に反対し足並みは乱れた。

しかも、ゼネストによってベルリンのライフラインはストップ。

そして混乱のベルリンで一人の男が突如首相を僭称した。

男の名はカップと言い、彼こそがこの動乱の仕掛け人であった。

彼は軍の重鎮ルーテンドルフとともに「祖国党」を結成。

ヴェルサイユ条約を破棄して戦争の継続を訴えた。

しかし、「祖国党」は名前だけの存在と言っても良く、

ゼネストのさなか彼のために働こうという官僚は現れなかった。

労働者階級にとっては革命に対する反動以外の何者でもなく、

しかもつまらぬ軍事クーデターのためにライフラインまで止められて

怒りは頂点に達した。

結果、カップはベルリン入城後わずか4日でスウェーデンへ逃亡、

目的を失った軍隊も兵営に引き上げ一揆はあっさり終息した。

しかし、ゼネストは収まらなかった。

理由は、労働者階級が共和国政府に対して強い不信を抱いたからである。

このことは、一揆開始から1週間後の20日、労使すなわち労働者階級と政府の間での

交渉の結果ひとまずゼネスト解除の合意が得られた。

また、一揆軍の鎮圧に失敗したノスケは解任された。

共産党の強い反対によるものである。

彼の後任には復興大臣ゲスラーが就任したが、

国防大臣には国防軍の人事権はそもそも持たされておらず、

いわばお飾りで誰にでも務まるポストであった。

そして、国防軍の実権を握る総司令官にはゼークトが就任した。

彼の採った中立策によってベルリンを戦火にさらすことなく、

また国防軍の犠牲を抑えたことによる功とも言えるが、

国防軍は政治のコントロールの利かない組織となり、

結局危険分子を温存することとなる。

「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑨

<8>ヴェルサイユ条約とポツダム宣言

今回は、ドイツの日本の対比としてともに戦後結ばれた

この2つに関して比較して考えてみようと思う。

まず、両方に共通して書かれていたことは以下の通り。

(1)領土の没収、割譲

 (ヴェ)海外の全領土及び植民地の没収、フランス側、ポーランド側の領地を

    それぞれの国に割譲

 (ポツ)領土を本州、北海道、九州、四国及び諸小島に限定し、台湾や韓国から撤兵

(2)武装解除

 (ヴェ)徴兵制の廃止、航空機、戦車、重火器の保有禁止、参謀本部の解散、

    陸海軍への厳しい軍備制限

 (ポツ)日本を世界征服へと導いた勢力の除去

違う点といえば、戦争責任の取り方であろう。

ヴェルサイユ条約では、それまでと同様に賠償金をとるという形をとった。

対するポツダム宣言では、戦争犯罪人を裁判によって少なくとも形式的には

法によって裁くと言う方法をとった。

第2次世界大戦では、ドイツも同様に裁判によって裁く形式をとっていた。

おそらく、これはヴェルサイユ条約で賠償金を取ったことによる反省に

基づくものと考えられるが、では賠償金を取ったことがいかに影響したのであろうか。

賠償金の金額は、条約では合意に至らず、ひとまず200億マルクの支払いを命じた。

1921年5月に定められた最終賠償額は、実に1320億マルク。

1923年当時、既にヴェルサイユ条約によるインフレーションが

始まっていたとはいえまだパン(おそらく1斤)の値段が250マルク。

これから考えて1320億マルクがいかにとんでもない金額かわかるだろう。

これにより、先に書いたとおりドイツではハイパーインフレが発生し、

アタッシェケースいっぱいのお金でコーヒー1杯しか買えないという

有名なエピソードが生まれるほどの経済破綻をきたした。

それに対し戦勝国は1924年、1929年に助け舟を出して賠償額の軽減を行い

経済は一度立ち直りかけたが、時悪く世界恐慌に見舞われドイツ経済は再び破綻。

ついに1932年のローザンヌ会議で賠償の廃止を決定したが、

時既に遅くドイツ国民は状況打開のためにヒトラーに政権を委ねる道をとった。

なぜ、このようなことになってしまったのか。

それは、20世紀に起こった戦争の変換に

政治家が追いつけなかったからではなかろうか。

20世紀以降、戦争は国家対国家の総力戦の様相を呈し、

日露戦争は結局ロシアの国情不安によって停戦を迎えている。

また、勝った(私見としては「負けずにすんだ」と表現したいのだが)日本も

賠償金を取ることが出来ず国債の大量発行による債務に悩まされることになった。

そのような状況で、死力を尽くして戦って負けた国からさらに賠償金を取れば

当時のドイツのようになるのはある意味当然の事で、

それに気付かず特にドイツに国土を蹂躙されたフランスは

懲罰的な条約を強引に結ばせたのだ。

これによって、ドイツは深い痛手を負うことになり、

ヒトラーという巨悪を生む遠因を自ら作ってしまったのである。

この反省から、第2次世界大戦では賠償金を取らず

戦争責任者を処罰することによりその責を負わせるシステムに変えたのである。

新生ドイツ共和国は、歴史の狭間であまりにも巨大な責め苦を負わされ、

ゼロどころかマイナスからスタートすることを余儀なくされたのである。

「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑧

<7>終戦、そしてヴェルサイユ条約

ここまではドイツ国内の変化について書いてきたが、

対外的にドイツはいまだ同盟国軍として交戦中であり、

その帰趨は新政府に委ねられるところとなった。

ドイツのUボートによるいわゆる「無制限潜水艦戦」によって、

この欧州大戦にアメリカが連合国軍側とともに戦うようになって、

戦況は大きく連合国軍に傾いた。

ドイツは、内外の状況を考慮して早々に終戦に向けた交渉のテーブルを

設ける必要に迫られていた。

1919年5月7日、終戦に向けた最初の交渉がヴェルサイユで始まった。

しかし、交渉を任されたブロックドルフ伯の態度が悪かった。

彼は連合国側から示された草案の特に内容のひどい部分を選んで読み上げた。

ドイツが特に抵抗したのが戦争責任のことである。

草案では、この戦争の全責任をドイツ1国に押し付けるものと解釈していたからである。

しかし、その点では結局連合国に押し切られ賠償金を払わせられることになる。

また、領土問題でも紛糾した。

ドイツ領土は、寸断され、あるいは削り取られることを余儀なくされた。

5月23日、一度この内容を本国に持ち帰ったのだが、

政府はこれを拒絶しようとしていた。それほど屈辱的な内容だったのだ。

しかし、連合国が仕掛けてきた。

態度を保留するドイツに対し6月16日最終案を提出、当初は5日以内の返答を要求した。

その後それは7日に変更されたが、

応じなければおそらく連合国軍の再侵攻が始まることは明白であった。

シャイデマン首相は、条約締結反対派であったが、閣内をまとめ上げることが出来ず、

6月20日内閣を総辞職した。責任を放棄したのである。

エーベルト大統領は、急ぎ新内閣を組閣する必要に迫られた。

正直、本人も逃げ出したかったところであったろう。

新内閣は、社会民主党と中央党で組閣され、首相にはヘルマン・ミュラーが選任された。

6月22日、新内閣の下で国民議会は召集されたが、右派を中心に署名反対に流れ、

議会は賛否二分された。

しかし、そのことがドイツにとって何の解決をもたらさないことも皆承知していた。

議案は、国民議会が署名に同意するか否かを持って争われ、

結果は署名賛成237、同反対138をもって可決。

しかし、翌日その内容が無条件降伏であることを知ると、議会は再び紛糾。

それを与党はようやくの思いでなだめ、期限切れ僅か80分前、

条約の無条件受諾を電報にて伝えた。

6月28日、ヴェルサイユ宮殿にて戦勝終結の署名が行われ、

ここに、史上初の国民国家間戦争第1次世界大戦は終結した。

「新・中央競馬予想戦記」 10/09

日曜日の結果
 2勝(鳴滝特別、藤森特別) 4敗

 回収率    151.7%
 通算回収率 68.5%
 開催替わりなので、ひとまずローリスクローリターンの単勝1点買いで。
 予想結果から言えば、ひとまずベストチョイス。
 しかし、通算が0.3%しか回復しないので、
 やはり日曜の重賞の馬複で大きく取り戻さないと・・・。

東京09R 鷹巣山特別(3上1000万下 芝短)
  ◎ ⑱タケショウレジーナ
  ○ ⑧レミニセンス
  ▲ ②フロムアップランド

東京10R 西湖特別(3上1000万下 D短)
  ◎ ⑨スターボイジャー
  ○ ⑤チョウカイフレンチ
  ▲ ②ヤマノルドルフ

東京11R 毎日王冠(3上GⅡ 芝中)
  ◎ ⑧メイショウカイドウ
  ○ ①エリモハリアー
  ▲ ⑤スズノマーチ
 本命は、小倉で大暴れしてきた⑧。
 久しぶりに幸騎手に乗り替わるが、5勝を挙げているし、東京も実績はある。
 対抗は、不確定要素は多いものの近走内容のいい①を抜擢。
 東京コースも初めてだが、1800m3勝の実績もあり面白い。
 3番手は、休み明けを一つ叩いた⑤。
 東京での実績もあり、斤量実績もある。このメンバーなら充分戦えるだろう。

京都09R りんどう賞(2歳500万下 芝短)
  ◎ ②エイシンラブリー
  ○ ⑨フォーナインミダス
  ▲ ④コスモルビー

京都10R 壬生特別(3上1000万下 芝短)
  ◎ ②ファストアズライト
  ○ ⑦シーキングマイラブ
  ▲ ④チリエージェ

京都11R 京都大賞典(3上GⅡ 芝中)
  ◎ ⑪ダディーズドリーム
  ○ ①サクラセンチュリー
  ▲ ⑤ファストタテヤマ
 本命には、近3走非常に内容のいい⑪を抜擢。
 重賞実績はないものの、目黒記念は惜しい内容だった。
 騎手に不安は残るものの、持ち時計もなんとトップだ。
 対抗には、休み明けを1つ叩いた①。
 斤量に不安は残るが、正月に同じ条件を勝っておりこのメンバーなら戦える。
 3番手は、前走内容を評価して⑤。
 乗り替わりに不安は残るが、叩き3走目で上がり目もまだ期待できそうだ。

「新・中央競馬予想戦記」 10/08

東京09R プラタナス賞(2歳500万下 D短)
  ◎ ④インテリアワード
  ○ ①ユーワハリケーン
  ▲ ⑤ハンナフレグランス

東京10R 本栖湖特別(3上1000万下 芝中)
  ◎ ⑥サンデーストリーム
  ○ ④ソーユアフロスト
  ▲ ③ルーベンスメモリー

東京11R アイルランドトロフィー(3上1600万下 芝短)
  ◎ ③インセンティブガイ
  ○ ⑥パリブレスト
  ▲ ⑩ヴリル

京都09R 鳴滝特別(3上1000万下 芝長)
  ◎ ⑨アドマイヤモナーク
  ○ ⑦ロングアライブ
  ▲ ⑩マヤノリバティ

京都10R 藤森特別(3上1000万下 D短)
  ◎ ⑤ゲイリースノーマン
  ○ ①インターコウキ
  ▲ ⑦エアオーサム

京都11R 大原S(3上1600万下 芝中)
  ◎ ⑤ブライトトゥモロー
  ○ ⑥ビッグコング
  ▲ ③アドマイヤコンドル

「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑦

<6>~閑話休題~ 「全権委任法」

前回の予告どおり、今回は「全権委任法」について少し話をする。

「全権委任法」が成立したのは1933年のことである。

まずは、かいつまんで「全権委任法」成立までの経緯を記すことにする。

1932年11月、その年2度目の総選挙により、議席数を減らしながらも第1党を維持した

ヒトラー率いるナチス党は、ヒンデンブルグ大統領に首相の位を要求したが、

バーベン首相がこれに反対、あくまでも、自らの政権を維持しようと動いたが、

それを今度は国防軍の実力者シュライヒャー中将に反対され、

大統領はそのシュライヒャーに組閣を命じます。

シュライヒャーに裏切られたバーべンは、今度はヒトラーに接近。

そして、翌33年1月に行われたリッペ州(ドイツ中東部)選挙にヒトラーが勝利し、

30日にはヒトラー首相、協力したバーベンを副首相とするヒトラー内閣が成立した。

翌月、国会放火事件が発生、ナチスはこれを難敵共産党の仕業であると決め付け、

フリック内務大臣(ナチス党)の権限により警察を動員して

共産党員など計4000人を逮捕、拘禁。これにより、共産党は大打撃を受けた。

翌日ヒトラーは、

 ①大統領緊急令を制限できる

 ②武装蜂起・ゼネストに対し必要があれば中央政府が連邦各州の全権を掌握し、

  場合によっては死刑も科せる

という緊急令を混乱に乗じて制定してしまいます。 

ヒトラーは、政権支配を完成させるために3月にまたもや総選挙を敢行。

しかし、過半数すら得ることができず(288/647)、

ナチス支持を表明していた国家人民党の52議席を加えてもようやく過半数と言う

厳しい結果に終わってしまいました。

そこでヒトラーは首相権限で緊急令を発令、共産党議員81名ほか計100名以上を

逮捕もしくは病欠に追い込んだ。

しかし、このままでは120議席を持つ社会民主党全員が欠席すると

審議がストップする危険性があったため、

ナチスは中央党(74議席)に接近した。

そして議院規則を改正して無断欠席を出席扱いするという議長裁量権を与えた。

これにより、ゲーリング議長擁するナチス党が議会を支配、

3月22日に賛成441票をもって「全権委任法」は可決成立した。

さて、この「全権委任令」がいかなる法令であるのか。

それは「議会が持つ立法権をを政府に委任する(③)」というものです。

これら①~③をもって、ヒトラーは議会権限を掌握しかつ大統領の権限をも制限しうる

巨大な権限を握ってしまいました。

しかも、これをわりと民主的な方法で手に入れてしまいました。

これができるのも、ナチスが議会工作に長けていたためであり、

また民衆もナチスを支持して議員を多く送り込んでしまっためでもあります。

現在、自民党は小選挙区を利して4割そこそこの得票率で衆議院の2/3を掌握しました。

伝統的に議会工作に長けた自民党は、

これからかなり無謀な法案を続々通してくることでしょう。

しかし、これをおしとどめる手段を我々民衆は実は持ち合わせていないのです。

小泉独裁を危惧する声が止まないのは、まさにそのためなのであります。

「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑥

<5>ワイマール憲法

国民会議最大の仕事は、なんといっても共和国憲法の制定である。

181条に及ぶ憲法各条の審議は、会合にして40回に及んだ。

その中でプロイスの起草した憲法草案に修正が加えられ、

7月中には総会にて採択を受け、賛成262対反対75で通過した。

エーベルト大統領は8月11日、これに署名し、これによって憲法は成立発効した。

共和国憲法(以下単に「憲法」)の特徴は以下の通りである。

(1)国会中心主義とそれに伴う諸選挙制度

 選挙権を従来の「25歳以上の男子」から「20歳以上の男女」に増やし、

 しかも彼らに個人ではなく政党を選択させるために比例制をとった。

 これにより、小党分立を促進し、しかも代議士と選挙区との結びつきを弱める

 結果となった。その上、各党の比例順位も政党での働き次第で決まったため、

 民意が反映されずらい内向きの代議士が増えることにもつながった。

 これは、今回の日本の衆議院選挙にも多々見られ、

 落下傘候補や比例区との併用により、より国民と永田町の乖離を生むものと

 ドイツの事実を見る限り明らかである。

(2)内閣を指名する大統領を公選(直接選挙)制とした

 しかし、実際に政権を握る首相及び内閣は国会の承認を得ずして

 職務の遂行は不可能であった。

 よって、大統領よりも国会の方が原則としては強い力を持つことになる。

 大統領には、それに対抗する手段として緊急命令権という

 いわば独裁権が与えられている(憲法48条)。

 ただし、これも無制限と言うわけではなく、緊急命令に関しては首相もしくは

 担当閣僚の副署が必要とされていた。

 しかも、議会の要求によって直ちに廃止することも出来た。

 すなわち、国会を握った者が強者であり、

 それによって大統領の権限さえ制限することが可能であった。

 それを成したのがヒトラーであり、その際たるものが「全権委任法」であった。

 時間が行ったり来たりするが、全権委任法に至るまでの話は次回することにする。

もちろん、(3)社会権の明記についても本来は触れなければならないのだろうが、

それが当時充分に機能したかどうかを確かめるには

新生共和国の期間はあまりにも短すぎた。

つまり高邁な理想を掲げながらも、その欠点によって

国家そのものを結局は瓦解させてしまった憲法として多くの面において

後世の反面教師とされてしまった悲運の憲法であったと言えよう。

※<1>~<4>では資料として「ワイマル共和国史-Ⅰ」(ぺりかん社)を用いましたが、

<5>からは、「ワイマル共和国物語 上巻」(東大出版会)を用いております。

「新・競馬予想戦記」今開催を振り返って-2

日曜日の結果
 6勝(津田沼特別、スプリンターズS、利根川特別、美作特別、

 芦屋川特別、STV賞) 4敗
 回収率    169.6%
 通算回収率 68.2%
 秋のGⅠシーズンは、いちおう勝利と言うことでよかったです。
 でも、今回特に良かったのは、津田沼特別の単勝1680円。
 これで、通算も一気に1.5%のUP。
 分母が15万超えてるので1.5%の常勝はかなりの成果。
 何とか、最終的に最低でも70%までは持ってきたいです。

今開催を振り返って
 ①重賞が珍しく良かった。
  (計11戦通算回収率117.9%)
 ②芝短距離が良かった。
  (30戦通算回収率125.3%)
 ③中山コースが今回は良かった。
  (25戦通算回収率119.4%)
 ④ダート戦全体が悪かった。
  (19戦通算回収率39.4%)
 ⑤阪神コースが悪かった。
  (25戦通算回収率42.2%)

次回からは、東京&京都開催。
また、3週目からは福嶋開催もスタート。
春の東京開催では、安田記念で万馬券が出たのですが、
そうそう期待するわけにもいきませんからねぇ。
ひとまず、最低でもこの水準を割らないようにしたいところですが…。

「新・中央競馬予想戦記」 10/02

日曜日の結果
 2勝(九十九里特別、札幌2歳S) 1分(芙蓉S(返還含む)) 8敗

 回収率    93.6%
 通算回収率 66.7%
 札幌2歳Sで久々のパーフェクト予想。
 しかし阪神坊主で、回収率100%に惜しくも届かず。
 いちおう買い方は変えません。なんとか、今日ぐらい取れれば・・・。

中山09R 津田沼特別(3上500万下 芝短)
  ◎ ⑨シンボリプレオ
  ○ ⑧ピュアブラウン
  ▲ ①チョウカイキセキ

中山10R 外房特別(3上1000万下 芝短)
  ◎ ④フェミニンガール
  ○ ⑦ヴンダー
  ▲ ③タイキラファエロ

中山11R スプリンターズS(3上GⅠ 芝短)
  ◎ ④デュランダル
  ○ ⑬[外]サイレントウィットネス
  ▲ ⑨カルストンライトオ
 休み明けが8頭もいる難解な1戦。
 本命は、切れ味鋭い名刀④。
 休み明けでもメンバー層の薄さから考えて充分足りると見る。
 対抗は、香港馬より連対率90%超の⑬。
 これも休み明けだが得意の1200mで、前走以上のポテンシャルを発揮してくれるはず。
 3番手は、去年の覇者⑨。同型強いが、ハナを切れるはず。
 ⑬を連れて行った行ったの展開に期待だ。

中山12R 利根川特別(3上1000万下 D中)
  ◎ ⑥マイネルボウノット
  ○ ⑩フィールドルーキー
  ▲ ③ミヤビペルセウス

阪神09R 美作特別(3上1000万下 芝中)
  ◎ ⑧マイティーカラー
  ○ ④ホシノプレゼント
  ▲ ③エムティーダイオー

阪神10R 芦屋川特別(3上1000万下 芝短)
  ◎ ⑦マイネルリバティー
  ○ ⑧シゲルドントイケ
  ▲ ⑤マイネルアルバ

中山11R シリウスS(3上GⅢ D短)
  ◎ ⑦インタータイヨウ
  ○ ⑬ブルーコンコルド
  ▲ ⑨サンライズキング
 本命は、叩き3戦目の⑦。近走の実績も堅調で、阪神も実績はある。
 対抗は、休み明けとはいえ4戦連続連対、2連勝中の⑬。
 時計も優秀で、阪神1400mも2勝の実績を持つ。
 3番手は、こちらも休み明けだが成績堅調な⑨。
 阪神1400m(1-2-0-0)と相性も良く、不安といえば騎手ぐらいなものか。

札幌10R すずらん賞(2歳OP 芝短)
  ◎ ②タイセイアトム
  ○ ⑭[地]モエレフェンリル
  ▲ ①[地]フェイクフェイス

札幌11R STV賞(3上1000万下 芝短)
  ◎ ⑧ブリリアントグレイ
  ○ ⑦ジョイントスターズ
  ▲ ⑬コレデイイノダ

札幌12R 釧路湿原特別(3上500万下 D中)
  ◎ ⑧シャンハイセンプー
  ○ ⑦ファイアーバレー
  ▲ ⑩ダンサーズナカヤマ

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