「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑯
<15>~閑話休題~ 増税と減税
前回、ミュラー内閣やブリューニング内閣が財政再建に失敗して倒閣した話をしたが、
時あたかも日本でも同様の論議がなされている。
まぁ、こういう背景があって、今回こういうものを書いていこうと考えたわけであるが…。
では、この当時出された財政再建案などについて、
現在の日本の状況を踏まえつつ考察を加えていきたいと思う。
世界経済全体を比較すると、まず、1929年に世界恐慌が始まっている。
現在は少なくともそうではなかろうが、
石油の状況などを考えるとあまり安穏としていられる状況でもない。
比較対象としては当たらずとも遠からずといったところだろうか。
両国の経済状況を考えると、いずれも「失われた」時代を経過しており、
やはり似たような道を歩んでいると言えなくはない。
現代日本の失業率は、世界経済全体の水準から言えば決して高い水準とは言えないが、
日本史上で言えば高水準といえるだろう。
その上、税収入や国家財政を脅かす要素が少なくない。
例えば国民年金の未払い問題や、厚生年金からの離脱などが例として挙げられるだろう。
一方、当時のドイツにとっての大問題は失業保険であった。
ドイツの失業保険は、日本の厚生年金と同様雇用主と労働者の双方負担であった。
しかし、失業者の急増でその収入では失業給付が不可能となっていた。
政府は、担当省庁である失業保険庁に対して公金を貸し付けるという形で、
当座をしのいでいたが、当然失業保険庁に返す当てなどあるはずもなく、
公金(要するに税金)の持ち出しだけが膨らむことになるだけであった。
1929年6月末の時点で、貸付金は3億ライヒマルクを超えており、
政府はその対策を迫られていた。
方法など、古今変わる所がない。支払い金額を減らすか、負担を増やすかだけである。
日本では常に後者の策を採るばかりであるが、ドイツでは国家を2分した。
すなわち、労使が全面対決の姿勢をとったのである。
この差に関しては、時代的な背景も関係するので一概に比較することはできないが、
学生運動の終焉以来日本人はすっかり牙が抜かれてしまっているので、
まぁ、こうなることは考えられないでしょう。
しかし、これによって連立政権が分裂してしまったことはドイツにとって不幸であった。
さらに悪いことに、この時期関係閣僚である大蔵大臣と経済大臣が揃って
賠償金についての会議でドイツ国内を留守にしていた。
その間に参議院によって妥協案が可決され、それが保険料の引き上げだったために
雇用主団体からの猛抗議にさらされる結果になってしまった。
そののち、曲折を経てこの妥協案は大幅な修正をもって世に出たわけだが、
その曲折は政府に大きな亀裂を生むことになってしまった。
しかも、先の持ち出しのために政府は公債を発行していたために、
財政の危機は去ったどころかますます危うくなっていたわけである。
この状況を利用して国立銀行総裁が国家財政を壟断しようとしたが、
それは大蔵次官ポピッツによって阻止された。
その一方で彼は、アメリカの銀行に借り入れを打診したが、
今度はそれを国立銀行総裁によって阻まれてしまう。まさに足の引っ張り合いである。
結局首相は、大蔵大臣を更迭し、国立銀行総裁に屈するしかなくなってしまう。
それほどまでにドイツ財政は逼迫していたのである。
財政建て直しのために、関税の引き上げ、タバコ税の新設、
そして一度は修正されて棚上げになった失業保険負担率の引き上げ決めてしまった。
このことが当然ながら更なる分裂の火種を生むことになるが、
この話はまだまだ続くので今日のところはココまでに。 (続く)
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