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「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑩

<9>カップ一揆

今回は、ヴェルサイユ条約がドイツに何をもたらしたかについて。

もちろん、前回書いたようなハイパーインフレに代表される

経済的混乱を招来したのは事実だが、

ドイツ共和国は何しろ立ち上がったばかりでもともと政治的基盤が貧弱である。

ましてや、社会主義政権を首班とする穏健とはいえ社会主義的側面を持つ。

不満分子がそこここにいてある意味しかるべきなのであった。

その端緒となるのが1920年3月に起こった「カップ一揆」である。

リュネハルト率いる2個旅団が3月13日突如ベルリン市内になだれ込んだ。

これに対し、国防大臣ノスケは直ちに国防軍に対して治安出動を命じた。

しかし、国防軍隊務局長ゼークトは国防軍と国防軍が衝突することを避ける

という名目でこの命令を拒否。

エーベルト大統領は大統領府をべルリンからシュツットガルトに遷し、

併せて社会主義政権らしくゼネスト(全同盟罷業)を発動。

社会主義政党は従ったものの、共産党がノスケの方針に反対し足並みは乱れた。

しかも、ゼネストによってベルリンのライフラインはストップ。

そして混乱のベルリンで一人の男が突如首相を僭称した。

男の名はカップと言い、彼こそがこの動乱の仕掛け人であった。

彼は軍の重鎮ルーテンドルフとともに「祖国党」を結成。

ヴェルサイユ条約を破棄して戦争の継続を訴えた。

しかし、「祖国党」は名前だけの存在と言っても良く、

ゼネストのさなか彼のために働こうという官僚は現れなかった。

労働者階級にとっては革命に対する反動以外の何者でもなく、

しかもつまらぬ軍事クーデターのためにライフラインまで止められて

怒りは頂点に達した。

結果、カップはベルリン入城後わずか4日でスウェーデンへ逃亡、

目的を失った軍隊も兵営に引き上げ一揆はあっさり終息した。

しかし、ゼネストは収まらなかった。

理由は、労働者階級が共和国政府に対して強い不信を抱いたからである。

このことは、一揆開始から1週間後の20日、労使すなわち労働者階級と政府の間での

交渉の結果ひとまずゼネスト解除の合意が得られた。

また、一揆軍の鎮圧に失敗したノスケは解任された。

共産党の強い反対によるものである。

彼の後任には復興大臣ゲスラーが就任したが、

国防大臣には国防軍の人事権はそもそも持たされておらず、

いわばお飾りで誰にでも務まるポストであった。

そして、国防軍の実権を握る総司令官にはゼークトが就任した。

彼の採った中立策によってベルリンを戦火にさらすことなく、

また国防軍の犠牲を抑えたことによる功とも言えるが、

国防軍は政治のコントロールの利かない組織となり、

結局危険分子を温存することとなる。

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