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「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑦

<6>~閑話休題~ 「全権委任法」

前回の予告どおり、今回は「全権委任法」について少し話をする。

「全権委任法」が成立したのは1933年のことである。

まずは、かいつまんで「全権委任法」成立までの経緯を記すことにする。

1932年11月、その年2度目の総選挙により、議席数を減らしながらも第1党を維持した

ヒトラー率いるナチス党は、ヒンデンブルグ大統領に首相の位を要求したが、

バーベン首相がこれに反対、あくまでも、自らの政権を維持しようと動いたが、

それを今度は国防軍の実力者シュライヒャー中将に反対され、

大統領はそのシュライヒャーに組閣を命じます。

シュライヒャーに裏切られたバーべンは、今度はヒトラーに接近。

そして、翌33年1月に行われたリッペ州(ドイツ中東部)選挙にヒトラーが勝利し、

30日にはヒトラー首相、協力したバーベンを副首相とするヒトラー内閣が成立した。

翌月、国会放火事件が発生、ナチスはこれを難敵共産党の仕業であると決め付け、

フリック内務大臣(ナチス党)の権限により警察を動員して

共産党員など計4000人を逮捕、拘禁。これにより、共産党は大打撃を受けた。

翌日ヒトラーは、

 ①大統領緊急令を制限できる

 ②武装蜂起・ゼネストに対し必要があれば中央政府が連邦各州の全権を掌握し、

  場合によっては死刑も科せる

という緊急令を混乱に乗じて制定してしまいます。 

ヒトラーは、政権支配を完成させるために3月にまたもや総選挙を敢行。

しかし、過半数すら得ることができず(288/647)、

ナチス支持を表明していた国家人民党の52議席を加えてもようやく過半数と言う

厳しい結果に終わってしまいました。

そこでヒトラーは首相権限で緊急令を発令、共産党議員81名ほか計100名以上を

逮捕もしくは病欠に追い込んだ。

しかし、このままでは120議席を持つ社会民主党全員が欠席すると

審議がストップする危険性があったため、

ナチスは中央党(74議席)に接近した。

そして議院規則を改正して無断欠席を出席扱いするという議長裁量権を与えた。

これにより、ゲーリング議長擁するナチス党が議会を支配、

3月22日に賛成441票をもって「全権委任法」は可決成立した。

さて、この「全権委任令」がいかなる法令であるのか。

それは「議会が持つ立法権をを政府に委任する(③)」というものです。

これら①~③をもって、ヒトラーは議会権限を掌握しかつ大統領の権限をも制限しうる

巨大な権限を握ってしまいました。

しかも、これをわりと民主的な方法で手に入れてしまいました。

これができるのも、ナチスが議会工作に長けていたためであり、

また民衆もナチスを支持して議員を多く送り込んでしまっためでもあります。

現在、自民党は小選挙区を利して4割そこそこの得票率で衆議院の2/3を掌握しました。

伝統的に議会工作に長けた自民党は、

これからかなり無謀な法案を続々通してくることでしょう。

しかし、これをおしとどめる手段を我々民衆は実は持ち合わせていないのです。

小泉独裁を危惧する声が止まないのは、まさにそのためなのであります。

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