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「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑥

<5>ワイマール憲法

国民会議最大の仕事は、なんといっても共和国憲法の制定である。

181条に及ぶ憲法各条の審議は、会合にして40回に及んだ。

その中でプロイスの起草した憲法草案に修正が加えられ、

7月中には総会にて採択を受け、賛成262対反対75で通過した。

エーベルト大統領は8月11日、これに署名し、これによって憲法は成立発効した。

共和国憲法(以下単に「憲法」)の特徴は以下の通りである。

(1)国会中心主義とそれに伴う諸選挙制度

 選挙権を従来の「25歳以上の男子」から「20歳以上の男女」に増やし、

 しかも彼らに個人ではなく政党を選択させるために比例制をとった。

 これにより、小党分立を促進し、しかも代議士と選挙区との結びつきを弱める

 結果となった。その上、各党の比例順位も政党での働き次第で決まったため、

 民意が反映されずらい内向きの代議士が増えることにもつながった。

 これは、今回の日本の衆議院選挙にも多々見られ、

 落下傘候補や比例区との併用により、より国民と永田町の乖離を生むものと

 ドイツの事実を見る限り明らかである。

(2)内閣を指名する大統領を公選(直接選挙)制とした

 しかし、実際に政権を握る首相及び内閣は国会の承認を得ずして

 職務の遂行は不可能であった。

 よって、大統領よりも国会の方が原則としては強い力を持つことになる。

 大統領には、それに対抗する手段として緊急命令権という

 いわば独裁権が与えられている(憲法48条)。

 ただし、これも無制限と言うわけではなく、緊急命令に関しては首相もしくは

 担当閣僚の副署が必要とされていた。

 しかも、議会の要求によって直ちに廃止することも出来た。

 すなわち、国会を握った者が強者であり、

 それによって大統領の権限さえ制限することが可能であった。

 それを成したのがヒトラーであり、その際たるものが「全権委任法」であった。

 時間が行ったり来たりするが、全権委任法に至るまでの話は次回することにする。

もちろん、(3)社会権の明記についても本来は触れなければならないのだろうが、

それが当時充分に機能したかどうかを確かめるには

新生共和国の期間はあまりにも短すぎた。

つまり高邁な理想を掲げながらも、その欠点によって

国家そのものを結局は瓦解させてしまった憲法として多くの面において

後世の反面教師とされてしまった悲運の憲法であったと言えよう。

※<1>~<4>では資料として「ワイマル共和国史-Ⅰ」(ぺりかん社)を用いましたが、

<5>からは、「ワイマル共和国物語 上巻」(東大出版会)を用いております。

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