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「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑰

<15>~閑話休題~ 増税と減税 その2

1930年1月のハーグ会議で、ドイツ使節団は交渉に勝って

ヤング案という賠償金の軽減案の締結に成功した。

しかし、いまやドイツ経済の実権を握る男、国立銀行総裁のシャハトが、

この会議に一石を投じた。

彼は、この会議上ドイツ国立銀行が国際決済銀行への参加条件に

ヴェルサイユ条約のドイツに対する制裁条項の全面無効化などを要求したのである。

しかし、それは他の各国の中央銀行代表者に冷たくあしらわれる。

しかし、そのことを彼は政府代表団に隠していたために状況はさらに悪化し、

シャハトは結局その地位を追われることとなる。

その後、ドイツ国民議会の承認を経てこの案は正式に発行することにあるのだが、

これによって浮いた国家予算の使われ方が今度は問題になった。

と言うのも、世界恐慌による大不況で著しい税収減と

大量の失業者の発生に伴う多額の失業保険支払いによって

国家財政は逼迫していたからである。

政府は、ドイツ農業救済計画の一環として農産物の輸入関税引き上げを敢行した。

しかし失業者の増加は止まらず、

政府は失業保険庁に対して国庫借入金を投入して当座をしのいだ。

しかし、その後の処理に失敗したりしたことについては先に書いたとおりである。

日本の税収不足、保険料収入の不足は深刻である。

日本もまた、これに対して負担増を国民に迫ろうとしている。

しかも、ドイツよりもたちが悪いことに国会が1つの党によって

ほぼ支配されてしまっている点である。

次回からは再びヒトラーが登場する。

ここから先は、国民の暴走がいかにして国家を危地に追い込むか

という過程を見ていくことになる。

しかし、その手の研究はある程度なされてしまっているわけだから、

わたしとしては今まであまり注目されていなかった当時の経済状況などについても

掘り下げていきたいと思う。

なぜなら、当時のドイツも今の日本も財政面はまっかっかと言う点では

同じことなのだから…。

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