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「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑫

<11>ヒトラー、歴史にその姿を顕す

アドルフ・ヒトラー。言うまでもなく20世紀を代表する独裁者である。

彼がその名を歴史に記すようになるのは、1919年9月の

ナチ党(当時はドイツ労働者党)入党からであろう。

ヒトラーといえば、「演説」が有名であるが、それは入党前からの才能であったらしい。

その才能をさらに飛躍させたのが、皮肉にも毒ガスであった。

ヒトラーは、大戦末期に毒ガスを浴びて入院していた。

一時的に失明し、さらに喉には一生残る傷を負ってしまった。

しかし、そのせいであの独特の声を手に入れた。

近年の研究では、ヒトラーの声には人を惹きつける波長であったと言われている。

まさに、「禍福は糾える縄の如し」である。

そして、1919年9月のヒトラーが直接入党のきっかけとなる党の集会での話。

彼は軍の情報仕官として、休戦後各地に勃興した新政党の調査をしていた。

その中にドイツ労働者党も当然含まれており、

彼はその集会に参加し、なんとその場で演説者を得意の演説によってやり込めてしまう。

それが党幹部の目に留まり、ヒトラーは入党することになったわけである。

また、軍内でもその才能は磨かれていた。

彼は、軍からプロパガンダの講習を受けており、反社会主義の教育を受けている。

彼の思想はこの頃にある程度固められたと考えていいだろう。

入党後のヒトラーは、その素晴らしい演説によって

瞬く間に多くの党員を獲得して党の中枢部にあっという間に食い込んでいった。

また、1920年2月には党の方針である「25か条綱領」を

アントン・ドレクスラーとともに制定している。

その内容は、国家社会主義、国粋主義(民族優位主義)、反ユダヤ主義を標榜した。

これらのうちの多くはナチスドイツにも継承されており、

すでにこの党が危険思想家の集まりであったことがわかる。

この頃には、ヒトラーは党内でも相当大きな勢力を持っており、

実際翌1921年6月にはヒトラーは党首に就任している。

しかし、そこは民主主義的な政党であるから、

当然党首脳部によって党首の権力は牽制、分散させられているわけである。

ヒトラーは、「25か条綱領」の思想を達成するために党の実権の完全掌握を目指した。

ヒトラーは、党幹部に自らの脱党をちらつかせ、

7月11日には実際に1度脱党している。

それに従うものが相当多かったのか、党幹部はヒトラーの独裁権を容認し、

7月26日に彼は党首として復党を果たす。

そして、彼の復党と同時に党名も「国家社会主義ドイツ労働党(通称ナチ党)」に変更した。

ここにヒトラーは、ドイツ支配の重要な脚ががりを手に入れたわけである。

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