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「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑮

<14>世界恐慌

1929年6月、賠償問題専門委員会は5年前に出されたドーズ案をもってしても

進捗しない賠償金の支払いに対してヤング案という新案を発表した。

これは、賠償金金額を減額し、さらに年あたりの支払い金額に関しても

将来的には減額することなどを盛り込んだものであった。

理由はおそらく、懲罰的もともとの賠償案がこれ以上ドイツ経済を締めつければ、

ブルジョワ政党が敗退し社会主義やナチズムの台頭を

呼び込むことになるのではないかという危惧があったからからではなかろうか。

しかもそのころは世界的に軍縮の機運が高まっており、

いかにヴェルサイユ条約によって軍備を大幅に制限しているからといっても、

暴発した場合にそれを抑えきれるかどうかに疑念があったからではなかろうか。

とはいえ、この案だけ見ればドイツにとって悪い提案ではなく、

事実いくつかの曲折はあったもののこの案は翌1930年3月にこの案は締結された。

しかし、この案がドイツを更なる危機に追い込むのであった。

知ってのとおり、締結の前年1929年の10月に世界を大恐慌が襲う。

ここではドイツに与えた影響についてのみ詳述することにする。

このころ、ドイツは経済の停滞によって失業者が増加していた。

そのことは政府財政を大きく苦しめていた。

一つは税収減であり、今ひとつは失業者に支払われる失業保険の増加であった。

そこに『ヤング案』は舞い込んで来たわけである。

政府内では失業保険の節約と減税を次年度予算に盛り込もうとしていた。

これは明らかに『ヤング案』をあてにしており、

ブルジョワ政党側から見れば完全な人気取りであった。

しかし、労働者の意見を代弁する社会主義政党は当然これに抵抗した。

ヒンデンブルク大統領は、このまま政党間の論議によって政治が停滞することを危惧して、

ミュラー首相に後事を自分に任せるように言って、

ミュラーに内閣総辞職するように言った。

3月27日、ミュラーは内閣を総辞職し、

ヒンデンブルクは2日後に前蔵相ブリューニングを首相とする内閣を立てさせた。

これは実質的な傀儡政権であり、

内閣から社会民主党を追い出すためだけのものであった。

ヒンデンブルクは、7月に財政再建のために増税案と財政支出の引き締めの両案を

大統領緊急命令によって議会に提出したが、

下野した社会民主党などに当然のように反対され、内閣は議会を解散させた。

以下は、それを受けて9月に行われた国民議会選挙の結果である。

(比較対照は1928年5月におこなわれた国民議会選挙の結果)

社会民主党     153→143

中央党         62→ 68

民主党         25→ 20

国家人民党      73→ 41

ドイツ人民党      24→ 30

共産党         54→ 77

バイエルン国民党   16→ 19

農業者同盟        3→  3

農村住民運動     10→ 19

農民党           8→   6

ナチス党         12→107

なんと言っても注目すべきはナチスの大躍進である。

この選挙で一気に第2党に躍進している。 

また、共産党も確実に票を伸ばして第3党に食い込んだ。

解散の原因を作ったヒンデンブルクは、選挙後組閣したが、

それは旧貴族階級を中心に作られたもので、

到底議会の信任を得られるものではなかった。

この選挙の結果により、中央政府はよりナチスを危険視するようになった。

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