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「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑨

<8>ヴェルサイユ条約とポツダム宣言

今回は、ドイツの日本の対比としてともに戦後結ばれた

この2つに関して比較して考えてみようと思う。

まず、両方に共通して書かれていたことは以下の通り。

(1)領土の没収、割譲

 (ヴェ)海外の全領土及び植民地の没収、フランス側、ポーランド側の領地を

    それぞれの国に割譲

 (ポツ)領土を本州、北海道、九州、四国及び諸小島に限定し、台湾や韓国から撤兵

(2)武装解除

 (ヴェ)徴兵制の廃止、航空機、戦車、重火器の保有禁止、参謀本部の解散、

    陸海軍への厳しい軍備制限

 (ポツ)日本を世界征服へと導いた勢力の除去

違う点といえば、戦争責任の取り方であろう。

ヴェルサイユ条約では、それまでと同様に賠償金をとるという形をとった。

対するポツダム宣言では、戦争犯罪人を裁判によって少なくとも形式的には

法によって裁くと言う方法をとった。

第2次世界大戦では、ドイツも同様に裁判によって裁く形式をとっていた。

おそらく、これはヴェルサイユ条約で賠償金を取ったことによる反省に

基づくものと考えられるが、では賠償金を取ったことがいかに影響したのであろうか。

賠償金の金額は、条約では合意に至らず、ひとまず200億マルクの支払いを命じた。

1921年5月に定められた最終賠償額は、実に1320億マルク。

1923年当時、既にヴェルサイユ条約によるインフレーションが

始まっていたとはいえまだパン(おそらく1斤)の値段が250マルク。

これから考えて1320億マルクがいかにとんでもない金額かわかるだろう。

これにより、先に書いたとおりドイツではハイパーインフレが発生し、

アタッシェケースいっぱいのお金でコーヒー1杯しか買えないという

有名なエピソードが生まれるほどの経済破綻をきたした。

それに対し戦勝国は1924年、1929年に助け舟を出して賠償額の軽減を行い

経済は一度立ち直りかけたが、時悪く世界恐慌に見舞われドイツ経済は再び破綻。

ついに1932年のローザンヌ会議で賠償の廃止を決定したが、

時既に遅くドイツ国民は状況打開のためにヒトラーに政権を委ねる道をとった。

なぜ、このようなことになってしまったのか。

それは、20世紀に起こった戦争の変換に

政治家が追いつけなかったからではなかろうか。

20世紀以降、戦争は国家対国家の総力戦の様相を呈し、

日露戦争は結局ロシアの国情不安によって停戦を迎えている。

また、勝った(私見としては「負けずにすんだ」と表現したいのだが)日本も

賠償金を取ることが出来ず国債の大量発行による債務に悩まされることになった。

そのような状況で、死力を尽くして戦って負けた国からさらに賠償金を取れば

当時のドイツのようになるのはある意味当然の事で、

それに気付かず特にドイツに国土を蹂躙されたフランスは

懲罰的な条約を強引に結ばせたのだ。

これによって、ドイツは深い痛手を負うことになり、

ヒトラーという巨悪を生む遠因を自ら作ってしまったのである。

この反省から、第2次世界大戦では賠償金を取らず

戦争責任者を処罰することによりその責を負わせるシステムに変えたのである。

新生ドイツ共和国は、歴史の狭間であまりにも巨大な責め苦を負わされ、

ゼロどころかマイナスからスタートすることを余儀なくされたのである。

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