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「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-(22)

<21>ナチスと、軍部が紡ぐ闇

1930年10月に召集された国民議会で、

ブリューニング首相率いる内閣は新しい財政計画を発表した。

その財政再建案は、前ミュラー内閣が倒れるきっかけとなったものよりも

さらに厳しいものだった。

ブリューニングは、国民議会で大演説をぶって議会に賛同を求めた。

議会の討論は白熱し、内閣は第一党の社会民主党を味方につけることに成功し、

この財政再建案は賛成多数を持って可決。

さらに12月には、この再建案を実行に移すため大統領の署名を得て緊急令を発布。

ブリューニングは、議会における主導権を握っていた。

対してナチスは、ブリューニング内閣を追い落とし自ら政権を握らんと欲して、

さまざまな策を弄したが少なくとも議会内においては不調であった。

しかしナチスは、ゲッペルスの天才的、あるいは悪魔的な宣伝力を発揮して

各地の集会において大成功を収めていた。

例えば、、ドイツ軍の1兵卒の視点から第1次大戦を描いたアメリカ映画

「西部戦線異状なし」がベルリンで上映されるときに、その辣腕はすさまじいものであった。

ナチスは、この原作が発表されたときから攻撃の対象としていたが、

その頃はその原作がベストセラーということもあって効果はなかった。

しかし、映画化されてベルリンで公開されるにあたってゲッペルスはこれを好機と見た。

彼はナチス党員を集めて観客に脅しをかけ、

悪臭ガスを映画館内にばら撒き、座席の下にネズミを放った。

観客は、ナチスの嫌がらせを恐れてこの映画を見ないようになり、

さらにはその描写が著しく不快であると判断されてしまったために、

ついには上映禁止処分をけることとなる。

世論は内閣がゲッペルスに敗北したと感じたし、

元軍人である現大統領ヒンデンブルクもこの結果に満足したという。

ナチスら右翼と、軍部は少しずつではあるがその身を寄せ合い始めていた。

彼らは、屈辱を忘れてはいなかった・・・。

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