「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-(26)
<25>ナチス、国民議会の第1党に
前回も書いたように、ナチスはもはや政府にとっての脅威であった。
突撃隊(SA)と親衛隊(SS)の禁止を解除されて、ナチスの武闘派である彼らは、
すっかりテロリストと化した。
国民議会議員選挙前、最後の10日間で彼らと警察ら自衛組織との衝突によって
プロイセン地方だけで死者24名、負傷者284名を出した。
特に彼らの矛先は共産党と社会民主党に向けられた。
理由は単純で、ナチスの支持層が資本家であったからである。
SAやSSは、とにかく彼らに繋がるあらゆるものを攻撃の対象とした。
新聞社、労組、集会所など彼らの集まるところを徹底的に攻撃した。
おかげで、彼らいわゆる左派の選挙活動は著しく制限されることとなる。
そんな中で、1932年7月31日に選挙は行われた。
以下はその結果であり、比較対象はナチスが第2党になった1930年9月のものである。
社会民主党 143→133
中央党 68→ 75
民主党 20→ 4
国家人民党 41→ 37
ドイツ人民党 30→ 7
共産党 77→ 89
バイエルン人民党 19→ 22
ナチス党 107→230
諸派 2
ナチスは、議席を倍増させる大勝利であった。
逆に議席を激減させた中道諸会派の凋落ぶりは悲惨そのものである。
中央党は踏みとどまったものの、
民主党やドイツ人民党は議席を1桁にまで打ち減らし、
かつて政権に参加していた政党とは思えない凋落振りである。
それでも、ナチスはこの結果に不満であった。
おそらくナチスは、過半数を取りに行ったのだろうと思う。
しかし、ここで彼らにとって選挙制度はマイナスに働いたのではなかろうか。
比例代表制は、小政党が生き残りやすいシステムであり、
逆に大政党が大きく議席を増やしずらいシステムである。
この結果は、ナチスにとっては不満であっただろうが、
それでも政府や他の政党にとっては大きな脅威であることに替わりは無かった。
思えば、先の総選挙がドイツ式に全議席比例代表制で行われていたならば、
その得票率から考えて自民党と民主党の議席数はもっと拮抗していたのかもしれない。
自民党=3252万(小選挙区)+2589万(比例区)=5841万(票)
民主党=2480万(小選挙区)+2104万(比例区)=4584万(票)
この計算式では、有権者の重複があるので単純に比較は出来ないが、
少なくとも、自民党:民主党=296:113という
圧倒的な差にならないことぐらいはわかっていただけるだろう。
とはいえ、そういった政治的背景を持つがゆえにヒトラーは、
過激な手段をとらざるを得なかったのではなかろうかと考えることが出来るわけである。
もし、現代日本にヒトラーは自民党総裁として顕われたならば、
ヒトラーはいかに動くことであろうか・・・。
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