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「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-(27)

<26>権力とは争奪されるもの…

選挙の結果を受けて、ヒトラーらナチスの主要メンバーを入閣させるべきか否かについて、

大統領とその側近たちは協議を重ねた。

結果、ヒトラーを副首相とし、他の幹部も何人か入閣させようと考えた。

8月13日、ヒトラーらナチス首脳と、パーペン首相ら側近の会談が行われた。

しかし、ヒトラーが欲したのは首相の地位であって副首相ではなかった。

パーペンらが構想したナチスをコントロールしようとする意図は、見事に打ち砕かれた。

ヒトラーはこの会見のすぐ後に、ヒンデンブルク大統領とも会談を行ったが、

ヒンデンブルクからもパーペン以上の回答を得ることは出来なかった。

このとき、突撃隊(SA)も親衛隊(SS)も直接行動を起こそうとしていたが、

党首脳はひとまずそれを推しとどめた。

しかし、ヒトラーもこの仕打ちには怒りを覚えていた。

会談の9日後、共産党員殺害のナチスSA隊員5人に死刑判決が下った。

それに対してヒトラーは、判決を不服として政府に対して大々的な攻撃を行った。

恫喝に屈したのか、9月1日には彼らの刑は、終身刑に減刑された。

しかし、支持者は失望していた。

これほどの大勝利を得たにも拘らず、内閣に誰一人送り込むことが出来なかったことで、

ナチスは権力にこれ以上接近できないのではないかという懸念が広がったからである。

党員を辞める者や、党への資金供与の停止など、

その失望はダイレクトに党運営を苦しめた。

しかし、政府には敵が多かった。

ナチスはもちろんのこと、中央党もまたパーペンを敵視していた。

中央党は、パーペンによって政権中枢から排除されていたのである。

しかも、パーペンはヒトラー同様の独裁主義者であり全体主義者であった

(もっとも、当時ヒトラーは猫をかぶっていたわけだが)。

ナチスは、6月から中断していた中央党との連合交渉の再開に成功した。

そして、その連合交渉に成功し、2党はひとまず共同歩調をとることになる。

8月30日から、2党の共同歩調によって国会における主導権は握られた。

国民議会議長には、ナチスのゲーリング(後の国家元帥)が就任し、

第2党である社会民主党は、書記局にすら代表を送れなかったほどに

見事に排除されてしまった。

そして9月12日、なんとそれは共産党の方から起こされた。

共産党は、内閣不信任の動議を起こした。

これは、ナチスにとって回避すべき事態であった。

ナチスは、先に述べたとおり支持基盤が揺らいでいたこの時期に選挙するのは、

今ある議席を失いかねないという懸念を抱いていたからであった。

しかし、ヒトラーは既にゲッペルスに命じて選挙活動を開始しており、

非常に強気でこの動議に挑んだ。

ヒトラーは党議拘束をかけてこの不信任案に賛成する方へ動いた。

不信任案は可決され、再び国会は解散された。

これにより、この年2度目の総選挙は決定的となった。

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