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「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-(29)

<28>国民国家を否定する国民と、それに乗るナチス

前回も書いたように、民衆は既に政党政治に対して失望していた。

彼らにとっては、ちっとも自分たちの生活が良くならないのに、

ただいたずらに選択を迫ってくる政府を無能と感じていたのかもしれない。

それに対してヒトラーは、後々まで主張し続ける「民族共同体」構想の中で、

ナチスが社会的、宗教的、地域的対立を国民の意思のもとに排除すると宣言していた。

また、ヒトラーは国家国民党や中央党の活動もまたナチスに協力いているのだと宣伝した。

しかし、ナチスの支持がそれによってそれほど伸びることは無かった。

ヒトラーの野心が見え透いていたからである。

彼は政党政治を否定しながら、ナチス内閣による全権掌握を志向していたからである。

一方でヒンデンブルクは、まだヒトラーを内閣に引き込もうと考えていた。

そうでなくては、国会運営に支障をきたすからである。

しかし、政府は共産党の攻撃を受けることになる。

共産党は、シュライヒャー内閣を「ファシスト内閣」であると非難し、

内閣不信任案上程にも賛成した。

しかし、彼らにはヴィジョンが欠けていた。

その面においてナチスよりも一歩劣っており、それゆえに後に敗北するのである。

政府は懸命に国民の支持を繋ぎとめようとし、労働者政策に注力した。

しかし、それは資本家階級の乖離を招いていた。

パーペン前首相は、1933年初頭にヒトラーと独断で極秘会見を持った。

そこでパーペンは、軽率にももはやシュライヒャー内閣は国民ばかりではなく、

大統領からの支持も受けていないと口を滑らせてヒトラーの入閣を促した。

もちろんシュライヒャーはパーペンを非難したが、

パーペンが言ったようにもはやシュライヒャーは孤立状態にあった。

パーペンは、ヒンデンブルクに対して独断で動いたことに関しては謝罪したろうが、

それでもヒトラーを首相に迎えることはヒンデンブルクの意向に合致すると考えて、

ヒンデンブルクにヒトラー内閣の達成を勧めた。

そして、シュライヒャーもついにこの苦境に耐えかねた。

彼もまた、以前はヒトラーを一時は支持していたわけであるし、

議会運営のためにはナチスの「数の力」は必要不可欠であることを

充分すぎるほど理解していた。

そしてヒンデンブルクもまた、そういった側近たちの進めについには屈服した。

1933年1月28日のシュライヒャー内閣総辞職を受けて大統領は、

ヒトラーに組閣と議会多数派工作を命じ、

1月30日には中央党との連立内閣を組閣、

ヒトラーはついにワイマール共和国のナンバー2にまで上り詰めた。

「全権委任法」成立まで、あと2ヶ月を切っていた。

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