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「ワイマール憲法」とヒトラー、「日本国憲法」と小泉-⑳

<19>極右ナチス党の衝撃

1930年の選挙結果は、瞬く間にヨーロッパ諸国に報道され、

衝撃とある種の落胆をもって迎えられる。

フランスの言論人はこの時点で、

「もしナチスが政権を握るようなことがあれば、間もなく戦争が始まるに決まっている」

「ドイツの選挙結果を知って国際連盟全体が愕然として色を失った」

といった発言を行っている。知っての通り前者の発言は早晩実現することとなる。

一方でイギリスの「タイムス」紙は、ナチスの危険は小さいという論調を張った。

しかしロンドン市場ではドイツ売りが始まり、その動きは世界に広がっていった。

このことがドイツ経済に与える影響は小さくなかった。

ドイツ政府は、国庫証券の新規発行が不可能になった。

引き受け手がないのだから当然である。

ドイツ国立銀行は、金や外国為替が激減し、

その流出額はあわせて10億ライヒスマルクにも上った。

これは、ヤング案によって軽減されたとはいってもその年に払わなければならなかった

賠償金の額17億ライヒスマルクの過半に上る莫大な金額である。

これらの原因は、なんと言ってもナチスが反ユダヤ政策を採っており、

当時経済を支配していたユダヤ系金融機関やユダヤ系企業が

ドイツ国内から財産や資金を避難させたことによるところが大きい。

しかし、これらの経済的危機もナチスを中心とする国粋主義者によって

ヤング案の責任とするデマを流されるなど格好の好餌にされてしまっていた。

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