立待岬から山道をハイキングゥ~
さてさて。まだまだ続く歩き旅。
今回は、ようやく立待岬に到着。そこからまだまだ…。
まぁ、とにかく歩くわけですよぉ…。
5/16 10:15
「立待岬」着。
軽くいわれに触れておくと、
太平洋戦争当時函館山一帯は、
「要塞地帯法」とかいう法律によって、
市民は立ち入りを禁じられていたそうだ。
今でも山のところどころに、
当時の塹壕跡があるそうなんですが…。
立待岬から函館市外方向を。
本当なら松前方面や、
うまく行けば青森も見える場所なのに、
低層の雲が多く、撮れたのはこっちだけ…。
ここから山道を通って、箱館戦争で散った
旧幕府軍兵士の慰霊碑「碧血碑」へと…。
この辺りは、
北海道では珍しいスギ林のあるところ。
こうやってまっすぐに天を衝く樹木は、
札幌ではなかなか見られないので、
このように撮ってみたわけですが…。
途中の木の切れ間から電停谷地頭方向を撮影。
「谷地頭」という名前のせいか知りませんが、
電停が谷の底にあたる部分となる。
5/16 10:50
「碧血碑」着。
途中の看板によると、
土方歳三はじめ約800人の
旧幕府軍兵士が祀られているそうです。
景色を楽しみながらとはいえ、
意外と時間、かかってます…。
「碧血碑」のいわれ。
官軍の戦死者のためには
護国神社があるけど…。
やはり、こういう山中に建てられているのは、
理由があったんですねぇ…。
ちょっと見づらいが、
「碧血碑」を建てた「柳川熊吉翁の碑」。
こういう、『義』を知る者無しには
「碧血碑」は経たなかったろうし、
柳川翁を断罪しなかった
新政府軍の田島圭蔵氏にも、
その思いは通じたのだろう。
5/16 11:00
「函館八幡宮」着。
函館にはいくつも神社はあるが、
実はけっこうあちこちに移転している
神社が多い。ここもそのひとつ。
「函館八幡宮」本殿。
大正7(1918)年完成のこの本殿は、
「聖帝造り」という鎌倉時代の形式を
ベースにしているらしいです…。
「函館八幡宮」標識の側面。
写真では読みづらいが、
「元帥 海軍大将 伯爵 東郷平八郎 謹言」とある。
この辺りを見ても、旧帝国海軍にとって
函館が要所であったことが見て取れるだろう。
立待岬周辺はこれで終わり。
そろそろ昼時でもあり、
午後からはいよいよ「元町」地区に乗り込みます。
とりあえず電停「谷地頭」から市電に乗って移動…。
(続く)
« 市電に乗って立待岬へ… | トップページ | 年間回収率75%を挟む戦いに… 「新・中央競馬予想戦記」 2008-05-31 »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 『平成お伊勢参り&新中京競馬場などの旅』 伊勢編目次(2012.08.10)
- 『平成お伊勢参り&新中京競馬場などの旅』 7月6日-⑪(2012.08.10)
- 『平成お伊勢参り&新中京競馬場などの旅』 7月6日-⑩(2012.08.09)
- 『平成お伊勢参り&新中京競馬場などの旅』 7月6日-⑨(2012.08.08)
- 『平成お伊勢参り&新中京競馬場などの旅』 7月6日-⑧(2012.08.06)
« 市電に乗って立待岬へ… | トップページ | 年間回収率75%を挟む戦いに… 「新・中央競馬予想戦記」 2008-05-31 »
コメント