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映画 『最後の忠臣蔵』(☆☆☆)

死ぬのは簡単である。
それよりも、残される者の方がよっぽど辛い。
しかし、忠義のために「生きよ」と命じられたら…。
今作は、そういう定めを受けた二人の物語。

「武士とは死ぬことと見つけたり」で有名な、
『葉隠』が世に出る前後の話であり、
赤穂藩自体山鹿流で有名な地であるので、
映画見てから山鹿流の忠義論を調べました。
山鹿流の言う忠義とは、何も死ぬことに限定されず、
あらゆる行動の中に現れるらしいです。
だから、主君のために死ぬのも忠義、
生きるもまた忠義と言えるわけ。
そう言う意味で言うと、
もしかすると原作の段階から、
『葉隠』的忠義論に毒されているように、
今作は思われるわけで…
(そういうワシもそう思ってたんだけど…)。
だから寺坂(佐藤浩市)は、
自分の身分を堂々と明かせるわけ。
『葉隠』的には、単なる死に損ない扱いされないわけだから。
一方の瀬尾(役所広司)は、
天下の大罪人大石内蔵助の隠し子を連れての逃亡なわけだから、
当然身分も隠さなきゃならないだろう。
人の口に戸板は立てられないわけだから、
たとえ同胞にだってこの事実はできれば洩らしたくないだろう。
これもこれで、まあ正しいと言えるだろう。
でも、可音(桜庭ななみ)の嫁入り以降は、
結局『葉隠』的武士道の帰結なんだよねぇ。
正直あのエンディングでは、
この疲れ切った世の中に光を灯すことはできないと思うんだ…
(ネタバレになるので詳しく書けないが)。

それなりに目頭が熱くなるというか、
胸が熱くなる映画なのは確かです。
でも、ああいう価値観しか提示できなんだったら、
普通に忠臣蔵視て終わりでいいような気もするわけで…。

まぁワシ的には、改めて調べ直したおかげで
「武士道って何だろう」っていうのを改めて考えさせてもらった作品。
でも、それは作品の評価とは別ものなので、
☆の数は3つ止まりですかねぇ…。

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