困難を乗り越えて、人は強くなる。それならば… 災難雑考(昭和10年 『中央公論』より)-②
人間の歴史は災害の歴史とも言えるほど、あらゆる災害を繰り返してきた
→とすると、「災難の進化論的意義」が存在するのではと考えられる
→他の動植物が食うか食われるかという危険な状況の中で研鑽淘汰されているように、
人間も災難という危険な状況によって研鑽淘汰されているのでは…?
(例)
・中国の言葉にも「艱難汝を玉にす」(注4)という言葉がある
・植物も少しいじめないと花実をつけないものがある(例:麦)
・単細胞生物もあまり恵まれた環境に置いておくと分裂を止めて死滅するが、
少し揺さぶってストレスを与えると復活する
(注4)文中では中国の言葉とされている(とするなら『易経』と考えられる)が、
英語の「Adversity makes a man wise.」(逆境は人を賢くする)
の意訳とする説などもある
→虐待は繁盛のホルモン、災難は生命の醸母であるとすれば、
地震も結構、台風も歓迎、戦争も悪疫も礼賛に値するのかも…
→そういう意味では日本の国土は相当恵まれている
・台風の道筋に並行するように弧を張っているため毎年引っかかる
・大陸塊の縁辺の上に乗っかって、そば近くに海溝を控えているため、
世界有数の火山数を誇り、また地震も多い
・冬や春の乾燥した季節風は火事をあおる
・夏の山水美が実は雷雲を生む原因になっている
・秋の野分(台風)は稲の花の咲く頃や刈入時を狙ってくるようである
→日本人を日本人たらしめているのは、学校でも文部省でもなく、
神代から根気よく続けられてきた災難教育の賜物なのでは?
→だとすれば、科学の力を借りて災難の防止を企てるのは、
せっかくの教育の効果を減殺していることになるのでは?
→いかに科学者が予防法を発見しても、政府はそれをそのまま実行できないし、
一般民衆もそういうことには無頓着
→そういう意味では世の中うまくできている
→災難は日本だけとは限らない
・アメリカ
たまに相当な大地震がある
大規模な山火事、熱波、寒波、竜巻もある
南部では台風の親類であるハリケーンもある
・ロシア、シベリア
海を閉ざす氷と猛吹雪、大地も凍らせる寒さがある
冬は空気が乾燥しているため野火が起こることもある
・中国
大地震や大洪水があるが、地域が限られている
大部分が平穏であるがゆえに戦乱、争奪の地になりやすい。
そのため、庶民が安堵する暇が少ない
→災難にかけては万里同風(どこも似たようなものという意味)。
浜の真砂が磨滅して泥になり、野の雑草が絶えるまで、
災難の種も尽きないというのが自然界人間界の真実らしい
※ココで示された考え方は、後日触れる『日本人の自然観』でさらに掘り下げられる。
それにしても、寺田先生の識見の広さには頭が下がる。
それに、政府や民衆の本質というのも、なかなか変わらないようですなぁ。
雑草=野山に自生する草で何らかの薬にならないものは稀
→たいがいの草が何かの薬であり、薬でない草を探す方が難しいほど
→神がそう仕向けたのではなく、草の成分が薬になるように
人間を含めた動物が進化した結果と考えればさほど不思議でもない
同じように、たいがいの災難でも何かの薬にならないことは稀
→薬も分量を誤れば毒となるように、無制限に災難歓迎というわけにもいかない
→こういった、優生学的災難論の展開も可能か
→災難の予知や災難に常に備えている人間だけが「ノア」のように生き残り、
その子孫が繁栄すれば、人間の質も向上間違いなし
→そういう意味では、災難は優良種を選択するメンタルテスト(知能試験)
→逆にいえば、災難を減らすということは人間の頭の働きを鈍らせることになる?
→人間の頭脳の最高水準を次第に下げて、みんな凡人になってしまった
「ユートピア」を夢みる人々にとっては、災害防止は急務
→人間の最高水準を下げれば、最低水準も下がってしまうのが自然の法則だから、
ゆくゆくは人間も類人猿になってしまうかも?
※ハーバート・スペンサーが唱えた「適者生存」的なお話。
そして後半の話は、今の日本の現状をそのまま予言したようなお話。
草食男子が跋扈しだした現代日本は、
着実に「ユートピア」化しつつあるということだろうか。
~私的総括~
寺田から見れば、災害を押しとどめるのはどう考えても不可能のようなので、
今作ではどう付き合っていくかを模索しているともいえる。
西洋風に言えば、日本人は常に神の試練を受けているということになるのだろう。
注意の上に注意を払うことで、災害をいかようにも軽減できるが、
『津浪と人間』でも災害を災害たらしめているのは人間であると言っているように、
人間が生きている限り災害を根絶することは不可能だし、
むしろそういう刺激をたまに受けておかないと人間が劣化してしまう、とさえ言っている。
この時期にする話としては、やや不謹慎とも思える話だが、
生き残った人たちは生き残ることを許されたとも言えるわけだから、
死んで行った人たちに対して恥ずかしくない生を、
死んで行った人の分まで全うしようと、生き残ったワシも思うわけであります。
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