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災害は、多かれ少なかれ人災! 災難雑考(昭和10年 『中央公論』より)-①

3つ目に取り上げるのは、『災難雑考』。
『津浪と人間』に比べると、かなり大づかみな話であり、
また物理学者らしからぬ社会科学的論考を多く含む内容。
持って回ったような言い方も少なくないので、2分割でお送りいたします。

(例)箱根の吊り橋での出来事
修学旅行の記念写真を撮ろうと、先生が生徒たちを吊り橋の上に並べた
→吊り橋が揺れたのに驚いた生徒が騒ぎ出す
→揺れがさらに激しくなり、ついには橋のワイヤーが切れた
→橋ごと生徒は渓流に墜落。多数の死傷者を出す
→世評は先生を責めるものと橋の弱さを責める者に二分
→寺田的には、どっちにも責任がるとも言えるし、無いとも言えるとしている
→日本という国は、この吊り橋のようなもので、
  しかもいつワイヤーが切れてもおかしくない状況
→極端な話、明日にも宝永4年(注1)や安政元年(注2)のような
  大規模広域地震が起きるかもしれない
→そうすれば、犠牲者の数は吊り橋の件の比ではない
(注1)宝永4年の大規模広域地震
 推定マグニチュード8.6~8.7といわれる東海・南海地震のこと
 東海道、紀伊半島、四国でを中心に2万人以上の死者を出した。
 さらにその直後、連動するように富士山が噴火。その周辺にも大きな被害をもたらした。
(注2)安政元年の大規模広域地震
 前回『津浪と人間』でも触れた安政江戸地震(安政2年)の前に起きていた、
 おもに安政東海地震、安政南海地震のこと。
 この2つだけでも2万人以上の死者を出している

※冒頭のこの話は、日本の地理的危うさを物語るエピソードとも言える。
 ただ、橋の話に例えるのなら、
 民衆は常に注意を払っておかなければならず、
 政府は民衆に常に注意を喚起しておかなければならないということだろう。

吊り橋ならば、注意なり補強なりをすれば被害は防げるかもしれないが、
地震は前触れもなしに起ってしまう
→しかし、「地震の現象」と「地震による災害」とは区別して考える必要がある
・現象=人間の力ではどうにもならない(起こるのを食い止めることはできない)
・災害=注意次第でどんなにも軽減されうる可能性がある
(例)台湾での地震と家
地震の頻度
 =20世紀(1901~1935)の間に10数回の死傷者を出す地震が発生
 =平均して3年半に1回ぐらいのペース
 →執筆時点で前の地震から5年ほど地震が起きていない
 →いつ起きても不思議ではない状態
 →そういう土地で多く建てられているのが土角造り(トウカツづくり、注3)の家
   (理由)
    木造の家はシロアリにすぐ食われてしまう
    それに対して土角造りは断熱性があり、しかも安い
   (注3)土角造り
    竹の柱、茅葺の屋根、粘土を木枠に入れて固めたもの
    (これを土角という)を積み重ね、
    その上から泥を上塗りして隙間を埋めたものを壁とした家

 →そういう家で地震が来ると、中にいる人間は崩れた壁によって圧殺されてしまう
 →行政がなにがしかの手段を講じてやる必要がある
   (例)コンクリート製の家を建ててやる
     土角造りの長所を生かしつつ短所を補う安価な工法の研究、開発
 →研究、開発には、事故の物的経過を災害の現場について詳しく調べ、
  その結果を参考にして次の設計の改善に資するが特に大切
 →しかし、日本では多くの場合…
   ・責任者に対するとがめ立て
   ・それに対する責任者の一応の弁解、ないしは引責で問題が解決したような
    気がして、物的調査による後難の軽減という眼目が忘れられてしまう
 →ひどい場合になると…
   ・誰にも責任が及ばないように実際の原因をおかしくする
   ・見て見ぬふり
   ・強引にもっともらしい不可抗力のせいにする
  などして、問題を打ち切ってしまう
(例)ツェッペリン
  現代においても、ヒンデンブルグ号の墜落(墜落自体は今作発表の後)
  などが有名だが、草創期の度重なる失敗は当時から有名だった。
  →しかし、度重なる失敗にもかかわらず、本人は切腹もしなければ隠居もせず
  →失敗を生かして安全な飛行船を完成させたため、
   そのうち同型の飛行船はすべて「ツェッペリン」と呼ばれるまでになった
  →ツェッペリンが日本の管理であったら、こうはならなかっただろうと寺田は分析
※民衆が便利な方に流れて行くのは仕方ないとしても、
 政府はその流れのままにしておくわけにはいかないので、
 打つべき手を打っておかなければいけないという話(前半)。
※ツェッペリンの例は、今日でも充分通用する、これまた耳の痛い話。
 特にマスコミは、常に新しい獲物を探し回り、
 それまで散々取り上げていたネタには見向きもしなくなるわけだから、
 現在においてはこの傾向はむしろ助長されていると考えるべきかもしれない(後半)。
※『不謹慎」という理由で、科学者の方々もなかなか被災地に入れていない、
 という話をテレビで聞きました。
 そういう空気作りが日本は得意でありますが、
 原因究明という観点から見ればむしろいい迷惑とも言える。
 もっとも、「未来の何万人より、目前のひとりをまず助けろ」
 という話ももちろんありますが…。

しかし、災難の原因を徹底的に調べてその真相を解明して、
それを一般に知らせさえすれば、それで災難は根絶できるというような考え方は、
実は世間知らずな人間の机上の空論なのでは…?
 (例)
  ・いくら殺人犯を捕まえてそれを処刑し、世間に知らしめても、
   いっこうに殺人者はいなくならない
  ・大酒を飲んで不養生をすれば老いてから難儀することが明白でも、
   多くの人はその過ちを犯してしまう
  ・大津波が来たら一息で洗い流されるに決まってる場所でも、
   繁華街が発達して多くの人々が利権争いに夢中になる
   →いつ来るかわからない津波よりも日々の生活の方が切実だから
   →人間が人間の欲望を押しとどめるのは、星の運行を止めるより難しいかも
  ・ある国の炭鉱では、鉱山主が爆発防止の設備を怠っている
   →監督官が検査に来ると、無難な行動以外全部ふさいで検査はパス
   →しかし、結局時々爆発が起こってしまう
こう考えると…
 ・あらゆる災難は多かれ少なかれ人災で、それゆえ簡単に起こりやすい
 ・災難が人為的に起こるために、かえって人間を支配する不可抗な法則の
  支配を受けて不可抗なものになってしまっているだけなのでは
という結論さえ導き出しかねない
※原発の問題に関しては、普段からもっと注意を払っておくべきだったと考えられる。
 実際にはそれほどの危機ではないという言説もあるが、
 いい加減な回答を続けている東京電力のあり方を鑑みるに、
 既に相当な人災と言えるのではないだろうか。
 考えようによっては、最前線に核施設を野ざらしにしているようなもの
 だったわけだから…。
※とはいえ、マスコミ含めてそれをあげつらって責め立てるのは、
 決して建設的ではない、と寺田先生も戒めてるわけで…。 

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