地震学の黎明 地震雑感(大正13年5月『大正大震火災誌』より)
最初に取り上げるのは、関東大震災の翌年に書かれた『地震雑感』。
これにより、当時の科学水準を知り、その中で物理学者たる寺田氏が、
いかに思索を巡らせていたかがわかるであろう。
①地震の概念
理学者以外の世人(=一般民衆)
→地震現象の心像はすべて自己の感覚を中心として見た展望図に過ぎない
・直接的なもの=振動の筋肉感、耳に聞こゆる破壊的な音響、
眼に見える物体の動揺転落する光景など
→これには不可抗的な自然の威力に対する本能的な畏怖が結合されている
・これに附帯するもの
地震の破壊作用の結果として生ずる災害の直接あるいは間接な
見聞によって得られる雑多な非系統的な知識、
それに関する各自の利害の念慮、社会的あるいは道徳的批判の構成など
※テレビなどのメディアはもちろんのこと、
ブログや動画サイトなどの登場により、これらの伝播はより多角的、
かつスピーディなものになったと言える
自身の科学的研究に従事する学者(例:寺田寅彦)
1:純統計学的な研究方面
2:地震計測の方面
3:地質学上の現象として地震を見る
4:物理学者の見た地震(=寺田寅彦的視点)
→以上のように、
同じ科学者の間でも各自の専門に応じて地震というものの対象がまちまち
→まだ本当の意味での地震学というものが成立していないことを
意味するのではないか
→これらのあらゆる断面を綜合して地震現象の全体を把握することが
地震学の使命でなくてはならない
※これが執筆される50ほど年前までは、
ちょんまげ結って腰に刀差してた人が闊歩していた時代。
地震と言えば、「ナマズがどうたら」とか言っていた時代でもあるわけで…。
地震学という概念自体、まだまだ若い学問だったと考えられますね。
※日本における犠牲者の減少は、地震学という学問が曲がりなりにも成立、
体系化された証左と言えるが、
同時にまだまだ至らない部分があることも今回の地震で証明されてしまった
②震源
当時の新聞では、「震源争い」なるものが存在していた
→震源の存在を知りたがる世人の心理は、
自宅に侵入した盗人を捕まえたがるのと同様と想像される
→震源の意味やそれを推定する方法を知る者にとって、
新聞紙上のそれは全く無意味
(理由)
1:震源なるものがそれほど明確な単独性を持った個体と考えて
いいのか悪いのかさえ分からない
2:たとえ震源が四元幾何学的の一点に存在するものと仮定しても、
また現在の地震計がどれほど完全なものと仮定しても、
複雑な近くを通過して来る地震波の経路を判定すべき予備知識が
きわめて貧弱な現在の地震学の力で、
その点を方数里の区域内に確定することは不可能
3:今回のごとき大地震(=関東大震災)の震源はおそらく時と空間の
ある有限な範囲に不規則に分布された「震源群」であるかも知れず、
またそう思わせるだけの根拠は相当にある
→よって震源の位地を一小区域に限定することはおそらく絶望的に不可能
→観測材料の取捨によっていろいろの震源に到達するのはむしろ当然
→今回地震の本当の意味の震源を知るためには
今後専門学者のゆっくり落ち着いた永い間の研究を待たねばならない
(ことによると永久に分らないで終わるかもしれない)
※関東大震災の前後に多数の前震、余震があったことを踏まえての
コメントと思われる。
今回の地震でも前震、余震の範囲を考えると、同様のことが言えるだろう
③地震の原因
第1段階
その地震が某火山の活動に起因するとか、某断層における地辷り(=地滑り)に
起因するとかいうようなことが一通りわかれば満足
→せいぜい地辷りがいかなる形状の断層に沿って幾メートルの距離だけ
移動したということが分かれば万事解決と考える
第2段階
如何なるメカニズムでその火山はその時活動が起こったか、
また如何なる力の作用でその地辷りを生じたかを考える
(例)近くの一部分にしかじかの圧力なり歪力なりが集積したために起こった
第3段階
近くのその特別の局部に、そのような特別の歪力を起こすに到ったのかは
何故かを考える
→地球の物理を明らかにしないで地震や火山の現象のみの研究をするのは、
事によると、人体の生理を明らかにせずして単に皮膚の吹出物だけを
研究しようとするようなものかもしれない
→地震の根本的研究はすなわち地球、特に地殻の研究ということになる
→本当の地震学はこれを地球物理学の一章として見た時に
始めて成立するものではあるまいか
地殻の構造について我々の既に知り得たところは甚だ少ない
・重力分布や垂直線偏差から推測されるアイソスタシーの状態
・地殻潮汐(注1)や地震伝播(注2)の状況から推定される弾性分布(注3)
→以上のように直接観測し得られるべき与件(研究の端緒)の僅少な問題
(例:数値の取捨、測定方法など)にたいしては
種々の学説や仮説が可能であり、また必要でもある
・ウェーゲナーの大陸漂移説(注4)
・ジョリーの放射能性物質の熱によって地質学的輪廻変化を説明する仮説(注5)
→これらの仮説も、あながち単なる科学的ロマンスとして捨てるべきではない
→地震だけを調べるのでは、地震の本体は分りそうもない
(注1)地殻にも海と同様に月や太陽の引力、
自転や公転によって生じる遠心力などが当然にして働くという意味
(注2)固体や液体など、地球内部の状態によって地震波の伝播のし方が
変わってくるという学説
(注3)弾性波(この場合地震波)の到達位置の分布(と愚考する)
(注4)現在では半ば定説化されているが、当時は異端の説として
日本に紹介されていた
(注5)ウェーゲナーの大陸漂移設を強化する目的で唱えられた学説。
プレートテクトニクス学説が成立した現在では顧みられることのない仮説
※現在においても、地震波の伝播などによって地球内部の構造に関しては
憶測の域を出ていない。
(もっとも、マントル層に到達し得る技術すら、人間は持ち得ていないのだが)
そういう意味では、当時の科学的水準からそれほど進歩していないとも言える
④地震の予報
・星学者が日蝕を予報するのと同じような決定的な意味で言うなら、
地震の予報は不可能と寺田は考える
・医師が重病患者の死期を予報するような意味においてならば、
あるいは将来可能であろうと寺田は思う
→現在の地震学の状態ではそれほどの予報すらも困難
・統計学的予報ならやや可能
(例)地球上のある地域内に向う何年の間に約何回内外の地震がありそう
→しかし、方数十里の地域に起るべき大地震の期日を
数年範囲の間に限定して予知し得るだけの科学的根拠が
得られるか否かについて、寺田は根本的な疑いを抱く
→一本の麻縄に漸次に徐々に力を加えて行く時にその張力が増すに従って、
その切断の期待率は増加
→しかしその時間を「精密に」予想することは難しい
→その場所を予報することはさらに困難
・必要なのは、予報の問題とは別に地球の災害を予防すること
→少なくともある地質学的時代においては、
起こりうるであろう地震の強さに限りがあるだろう
(地殻そのものの構造から期待すべき根拠がある)
→その最大限の地震に対して安全なるべき施設を建てれば、
地震であっても恐ろしいものではなくなるはず
→そういう設備の可能性は、少なくとも予報の可能性より大きいと、
寺田は考える
→ただもし、100年に1回あるかないかの非常の場合に備えるために、
特別の大きな施設を平時に用意することが、
寿命の短い個人や為政者にとって無意味だという人がいれば、
それはまた全く別の、容易ならざる問題
→この問題に対する国民や為政者の態度は、またその国家の将来を決定する
すべての重大なる問題にたいするその態度を窺わしめる目標
※①~③を踏まえて、寺田は予報に関しては限界を感じており、
予報よりも災害予防を重視
※しかし、予防に関するコスト概念にもある程度留意してもいる
※物理学者は決定的論者であると今作でも言っているように、
予報より予防の方が決定的対抗手段であると、寺田は考えているのだろう
~私的総括~
・地震学は当時に比べてかなり体系化され、成熟してきているが、
科学的限界や人為的限界がいまだ厳然と存在しており、
寺田の理想とする境地にはいまだ達してはいないだろう
・寺田に言わせれば、チリ地震(1960年)発生の時点で、その地震エネルギーに
耐えうる施設を平時のうちに用意しておくべきだったらしい
・しかし、それだけの施設を作ることに国民の総意を得られたかどうかを考えると、
政治や国民の心象風景は当時と現在とではそう相違がないのかもしれない
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