地震や津波を災害たらしめるのは… 津波と人間(昭和8年『鉄塔』より)
2つ目に紹介するのは、「津波と人間」。
最初の例示からして、かなりタイムリーな内容。
そして、寺田先生から現代へ、含蓄ある提言も行われております。
(例1)昭和8年3月3日「昭和三陸地震」
マグニチュード=8.1
死者=1522名
行方不明=1542名
負傷=12053名
津波の最大波高=28.7m
(例2)明治29年6月15日「明治三陸地震」
マグニチュード=8.2~8.5
死者=21915名
行方不明=44名
負傷者=4398名
津波の最大波高=38.2m
以上のような同様の自然現象が37年を経て繰り返された
→同様の現象は歴史に残っているだけでも過去において何遍も繰り返されている
→現在の地震学上から判断される限り、
同じことは未来においても何度も繰り返されるだろう
→このように度々繰り返される自然現象ならば、当該地方の住民は、
とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、
災害を未然に防ぐことが出来ても良さそう
→実際にはなかなかそうはならないのが、人間界の人間的自然現象
学者「この地方に数年か数十年ごとに津波が起こるのは既定事実なのに、
それに対する備えもしないとは何事か」
罹災者「それならなぜ、津波の前に間に合うように警告してくれないんだ。
今まで黙ってたくせに、起こってからそんなこというなんて、ヒドイ」
学者「10年も20年も前から言ってるのに、お前たちの注意が足りないからいけないんだ」
罹災者「そんな昔のことを、いちいち覚えてなんかいられない」
人間=津波が起こった当初は、それに懲りて高いところだけに居住
→5年、10年と経つうちにいつともなく低いところを求めて人口が移って行く
津波=人間のそう言った現象などお構いなしに、時が満ちたら容赦なく押し流す
→これが37年とかそういう長いスパンではなく、2年とか3年とかごとに襲ってきたら、
津波は天変地異の類ではなくなる
→逆に台風が地震のように30年おきとか50年おきとかに来るようなものなら、
日本人は果たして台風に備えるだろうか
(ここまでの結論)
個人の心というものは移ろい、また忘れやすくできてるから、当てにならない
※身につまされるというか、耳が痛いというか、
こんな正論が現在にも通用してしまうということは、
我々は当時から一歩も進歩してないということなんだろうなぁ
政府の法令によって、永久的な対策を設けることは可能か?
→国がたとえ永続したとしても、政府の役人は100年をおかず必ず入れ替わる
→役人が代わる間には法令も時々は変わる恐れがある
→その法令が、無事な期間の生活において甚だ不便である場合はなおさら
→政党内閣などというものの世の中だとさらになおさら
※当時から現在の間に、国家体制は変わり、総理大臣がコロコロ変わり、
与党も変わるありさま。寺田先生の慧眼や恐るべし!
災害記念碑を立てて永久的警告を残すのはどうか
→はじめは人目に付きやすいところに立っていても、
道路改修、市区改正などが行われるたびにあちらこちらに移され、
しまいにはどこぞの山蔭の竹やぶの中にでも埋もれるとも限らない
→そういう時に若干の老人が昔の例を引いてやかましく言っても、
例えば市会議員などというものは、相手にしないであろう
→そうして碑石がうもれた頃になって、津波は足音もなく忍び寄ってくる
(例)同文「追記」より
三陸災害地では、明治三陸地震の時に災害記念碑を立てたが、
昭和三陸地震の頃には二つに折れて倒れたまま転がっており、
碑文などは全く読めなくなっていた
※修学旅行でも、そういう石碑とか見に行ったりしますよね。
でも、それについて事前に知識を入れておかないと、
スプレーで落書きする輩が出てきたりするわけですよ。
こういう石碑を残したことのみに満足していると記憶が風化するというのは、
今も昔も変わらないようですな。
自然は過去の習慣に忠実
→地震や津波は新思想の流行などには委細かまわず、
頑固に、保守的に執念深くやって来る
→科学の法則とは、つまるところ自然の記憶の覚え書き
→20世紀の文明という空虚な名をたのんで、安政の昔の経験(注1)を馬鹿にした東京は、
関東大震災で焼き払われた
(注1)安政の昔の経験=安政の大地震とは
この場合、安政2年10月2日(西暦換算で1855年11月11日)に起きた
安政江戸地震(死者約4300名)を指す
※主要因こそ違うが、ともに東京の下町に大打撃を与えた地震であることから
「安政の経験を馬鹿にした」と表現したのだろう。
また、「20世紀の文明という空虚な名をたのんで」とは、
おそらく凌雲閣(東京初の12階建て高層ビルディング)のことを指していると思われる。
しかも、初期設計にエレベーターを付与して強度をわざわざ弱くするという
初歩的なミスまで犯している。
後述されるが、こういうものを作る愚か者が、「災害を製造する原動力となる」のだろう
こういう災害を防ぐ方法
1:人間の寿命を10倍か百倍に伸ばす
(法令や政治の継続性を担保するため)
2地震津波の周期を10分の1か100分の1に縮める
(こうなると、もはや天災ではなく年中行事のようなもの)
→しかし、そんなことは無理な相談なので…
3:人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力する
という結論に到達する
※1や2は、もはや神業というべきレベル。
それに比べれば、3などたやすいと言わざるを得ない。
寺田先生は、ほかの著作でも、もちろん今作でも、このことを重ねて主張している
科学の発達
=過去の伝統の基礎の上に時代時代経験を丹念に克明に築き上げた結果
→だからこそ、台風が吹いても地震が揺すってもびくともしない殿堂ができた
→2000年の歴史によって代表された経験的基礎を無視してよそから借り集めた
風土に合わない材料で建てた仮小屋のような新しい哲学などは、
よくよく吟味しないと甚だ危ない
→にもかかわらず、うかうかとそういうものに頼って足下の安全なものを捨てようとする
→それと同じ心理が、正しく地震や津波の災害を招致する
→むしろ、地震や津波から災害を製造する原動力となる
→また、津波の恐れがあるのは三陸海岸ばかりではなく、
寛永(注2)安政(注1参照)の場合のように太平洋沿岸の各地を襲う場合もある
→その時にはまた日本の多くの都市が大規模な地震活動によって将棋倒しにされる
「非常時」が到来するはず
→いつ来るかわからないが、常にその時に備えるのが肝要
(注2)寛永の場合とは
寛永10(1633)年に起きた相模・伊豆・駿河地震のこと。
小田原城やその城下に甚大な被害を与え、城郭規模の縮小を余儀なくされた
※地震や津波は確かに恐ろしいが、もっと恐ろしいのは人間たちの慢心だというお話。
東京電力のお偉いさんなんかに聞かせたい話ですな。
しかし、少数の学者らがいくら骨を折って警告を与えたところで、
国民一般も政府の当局者も決して問題にしない
→それが人間界の法則であるようだから、その法則を曲げることはできない
→明日のことなど心配せずその日その日の享楽を行い、
一朝天災に襲われたらきれいに諦める
→そうして滅亡か復興かはただその時の偶然の運命に委ねようとする
捨て鉢の哲学も可能といえば可能
→しかし、せっかく知識を授けられた人間であるならば、
災害に関する知識の水準をずっと高めることができれば、
その時にははじめて天災の予防が可能になるであろう
→そのためには、まず普通教育でもっと立ち入った地震津波の知識を授けることが必要
→世界でも有名な地震国である日本の小学校では、年に1時間や2時間ぐらい
地震や津波に関する特別講演があっても不思議ではないと思われる
→地震や津波の災害を予防するのは、やはり学校で教える「愛国」の精神の
具体的な発現方法の中で、最も手近で最も有効なものの一つだろうと思われる
(例)同文「追記」より
三陸災害地の人
=地震があってから津波が到着するまで通例数十分かかるという平凡な科学的事実を
知っている者は稀であるという事実
※重ねて忘れないようにすることが大事であることを説き、
そのためには学校教育の段階から浸透させていくことが重要だと説いてもいる。
そして「愛国」という言葉に、
昭和8年(満州国問題を契機とする日本の国際連盟脱退のあった年)という
時代を感じさせる
~私的総括~
当時からその法則性と破壊力を危険視されていた三陸の大津波。
と同時に、既に人間の「のど元過ぎれば熱さ忘れる」という性分もまた
露見していたわけで…。
それを防ぐためには、いかにしてこの惨禍を人々の心に深く刻みつけ続けるか。
そのためには、学校教育で熱心に浸透させていくべきだと、寺田先生は説いている。
特別講演を行える人材は限られているだろうが、
それを補完する意味で中学ぐらいから寺田先生のこれら随筆を
国語の教科書に1編載せておくだけでも一定の効果があるのではなかろうか。
表現技法なんかも秀逸だし、国語の教材としても好適だと思うのだが…。
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