複雑な地形が「ムラ社会」を生んだ 日本人の自然観(昭和10年10月 『東洋思潮』より)-②
(2)地形的地理的要素
日本の土地は大陸の辺縁のもみ砕かれた破片
=プレート理論で言えば、4つのプレートが寄り集まった上に日本列島は乗っかっている
→そうした複雑な地質の存在と相違を生む原因となった地殻運動のせいで、
複雑な地形の分布や水陸の交錯を生み、頻繁な火山現象がそれを助長
①複雑な地形
=居住者の集落の分布やその相互間の交通網の発達を阻害
→山脈や川の流れによって細分化された地形ごとに小都市の萌芽が発達
→民族の土着する傾向になりやすくなる
→土着した住民は、それぞれの土地に適応しながら次第に分化
→地方的特性を涵養しながら、各自が住み着いた土地への根強い愛着の念を
培養してきた
※日本がしばしば「ムラ社会」と言われるのは、その複雑な地形に起因するという説。
そしてこのことは、日本人の愛国心が愛郷心の延長線上にこそ存在するという
証左になりうる。
我が北海道への開拓の入植は、しばしば町や村単位で行われ、
しばしば元の町や村の名前をそのまま入植地に付けるのも、
こういったことに起因しているのだろう。
震災復興が叫ばれている今、こういったコミュニティの存続が今後
問題となってくる場合もあるだろうし、コミュニティを街づくりに活かすという
考え方も必要になってくるかもしれない。
②地震
=地震系に感じる程度の地震なら日本のどこかで一つ二つ起こらない日は稀
=顕著あるいはやや顕著と称する(=体感のある地震)地震の起こらない月はない
=破壊的で家屋損壊を生じ死傷者を出すような地震でも、
3、4年も待てばきっと帝国領土のどこかに突発するものと思って間違いない
→この現象は我が国建国以来おそらく現代とほぼ同じ頻度で繰り返されてきただろう
(例1)日本書紀第十六巻
太子が鮪(しび)という男に与えた歌にも「ない(注1)」が現れている
(注1)「ない」=地震の古称
(例2)日本書紀第二十九巻
天武天皇の御代における土佐国大地震と、それに伴う土地陥没の記録
→動かぬものの例えにさえ引かれる大地が、時として大きく震え動くという
体験を持ち得てきた民族とそうでない民族とは、自然というものに対する観念において
かなり大きな懸隔をしても不思議ではない
→このように恐ろしい地殻変動の余韻として、複雑な景観を作り出しているわけだから、
地震の見方というものも少しは違ってくるのではなかろうか
③火山活動
・日本の山水美は火山に負うところが多い
→国立公園として推された風景の多くが火山関係である事実
→美しい曲線美を持つ火山は、しばしば女神にたとえられる
(小まとめ)
日本の大地は、「母なる土地」であると同時に、「厳父」としての側面も垣間見せる。
→その配合よろしきを得られれば、人間の最高文化が発達する見込みがあるだろう
※地震や火山活動に関しては、書いてある以上でも以下でもないと思われる。
豊穣や四季の彩を見せる母なる大地としての側面と、地震や噴火といった
厳父のような側面を、我々日本人は有史以来見続け、
付き合ってき続けているわけで、この国に住む限りそれは続くことだろう。
④地殻のモザイク、日本
・特殊な鉱産物に注目すると、その産出額の物足りなさを感じさせる
→日本の地殻構造が細かいモザイク状であり、他の世界の種々の部分を
狭い面積内に圧縮した、ミニチュアとでも言ったような形態になっているため
・地質の多様な変化による植物景観の多様性
(例1)
花崗岩ばかりの山と浸蝕のまだ若い古生層の山
→山の形態が違う上に、それらを飾る植物社会に著しい相違が目立つ
(例2)
おなじ火山の裾野でも、土地が灰砂で覆われてる所と溶岩の露出している所。
また溶岩の噴出年代
→おのずからフロラ(注2)の分化を見せている
(注2)フロラ=ある地域に生育する各種植物の全体
(例3)
農産物の多様性と、複雑な地形が生み出す曲線的な田畑の輪郭
(例4)
同種の植物の著しい分化
→図鑑片手に素人目に見てもその判別が難しいほど植物にさえ
このように多様な分化を生じせしめた、日本の環境の多様性
→人間の生理を通してその心理の上にまでも何かしら類似の多様性を
分化させる効果を持たないでは済まない
→植物界は動物界を支配する
→不毛の地に草が芽を出せば、それが昆虫を呼び、昆虫が鳥を呼び、
その鳥の糞が新しい種子を運び入れる
→その繰り返しが獣類をも呼び込むと、ついには一つの社会を現出する
→多様な「社会」が現出している日本に生まれた幸福を、充分に自覚していい
・水産生物の種類と数量の豊富さ
(理由)
・日本の海岸線が長く、また広い緯度の範囲に渡っているため
・いろいろな温度、塩分、ガス成分を含みながら相錯雑する暖流と寒流
先史時代(石器時代、縄文、弥生の時代)の遺跡からは、貝塚が発見されている
→その頃の漁場は浜辺岸辺に限定
→船と漁具の発達により、次第に漁場を沖の方に押し広げ、同時に漁獲物の量、
種類とも豊富に
→現在では発動機、冷蔵庫、無線機を載せて、千海里近い沖までも海の幸の領域を拡張
→また海藻、ウニ、塩辛類、肝油などには、今だ科学では解明されていない
多様な成分が含まれているが、日本人は何百年も前からそれらを好んで食べていた
※植物園などに行っても、見た目ほとんど変わらない植物にそれぞれ
名前を与えられている光景を目にすることができる。
人間にも同じことが言えるのではないか、というお話し。
また、同じ食べ物であっても食べ方にヴァリエーションがあるし、
そういう意味では日本人は非常に個性豊かで、
コレと捉えにくい民族であるとも言えるだろう。
(まとめ)
・複雑な環境の変化に対応せんとする不断の意識的ないし無意識的努力は、
その環境に対する観察と精微と敏捷を招致し養成する
・自然の驚異の奥行きと神秘の深さに対する感覚を助長し、その神秘と威力を
知れば知るほど、人間は自然に対して従順になり、自然に逆らう代わりに
自然を師として学び、自然地震の太古以来の経験を我が物として、
自然の環境に適応するように務める
・大自然は慈母であり厳父である。
厳父の厳訓に服することは、慈母の慈愛に甘えるのと同等に我々の生活の安寧を
保証するために必要
・日本は自然の慈母の慈愛が深くて、その慈愛に対する欲求が満たされやすいため、
住民は安んじてその懐に抱かれている
・一方で厳父の厳罰の厳しさ恐ろしさが身について、その禁制に背き逆らうことの
不利をよく心得ている。
・結果として自然の充分な恩恵を甘受すると同時に、自然に対する反逆を断念し、
自然に順応するための経験的知識を収集し蓄積することに務めてきた
・西洋科学の成果を、何の骨折りもなくそっくり継承した日本人が、
もし日本の自然の特異性を深く認識し、自覚した上でこの利器を適当に
利用することを学び、そうしてただでさえ豊富な天恵をいっそう有利に
享有すると同時に我が国に特異な天変地異の災禍を軽減し
回避するように努力すれば、おそらく世界中で我が国ほど都合良くできている
国は稀であろう
・現代の日では、ただ天恵の享楽にのみ夢中になって、天災の回避の方を
忘れてるように見えるのは、まことに惜しむべきこと
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