明確な四季と天気がもたらす複雑な気候 日本人の自然観(昭和10年10月 『東洋思潮』より)-①
「寺田寅彦で読む 『地震と日本人』」のシリーズよ始めるにあたって、
一番読んでおきたかった「日本人の自然観」を5つ目に取り上げる。
そもそも検索でこの作品が引っ掛かったことから、
ワシと寺田寅彦があったわけで…。
地震のことばかりではなく、日本人って、日本って何だろうかを、
地震を通して考察している、深い作品である。
今までの中ではかなり長い部類に入るので、5分割でお送りいたします。
~緒言~
日本人の自然観=実は漠然としている
(例1)
九州と東北(「内地」の南端と北端)ですら、一つの自然として見ることは
妥当とは思われない。
よって、「日本人」というくくりも空疎で散漫
(例2)
九州人と東北人
→各個人の個性を超越するそれぞれの地方的特性の支配が、歴然と認められる
そのため、「日本人の自然観」を導き出すのは容易ではない
それでも、有史以来二千有余年この土地に土着した日本人が、
たとえいかなる遺伝的記憶を持っているとしても、その上層を大部分
掩蔽(=覆い隠す)するだけの経験の収穫を、この日本の環境から受け取り、
それに適応するよう努力してきたことは疑いようがないことであろう
→まず、日本の自然というものを知る必要がある
※緒言は序論的な部分であり、どういった感じで話を進めるかを書いている。
ただ、日本人が多様な個性を持っているということは、
『秘密のケンミンショー』などを見ても明らかであり、
共感される方も少なくないことであろう。
~日本の自然~
(1)気候
昭和10年当時の日本領
=北は樺太(亜寒帯)から南は台湾(亜熱帯)まで
→それはごく近代のことであるから、この中では「日本は温帯」という前提で話を進める
温帯の特徴
=季節の年週期(=明確な四季があるということ)
=「天気」という言葉も温帯だけで意味を持つ言葉
(予測し難い変化をすればこそ「天気」と言える)
→季節の交代や天気の変化は人間の知恵を養成する
=周期的、あるいは非周期的に複雑な変化を示す環境に適応するためには、
人間の不断の注意と多様な工夫が必要だから
日本の特異性
①大陸の西端に位置する島嶼であることと、列島の南北両側に暖流が
進入することにより、大陸性気候と海洋性気候の両面が複雑に交錯
→「天気」が多様で、かつ変化が頻繁
(例)
雨の呼称の多様性を中心に、気象に関する語彙の多彩さ
→日本人の自然観の断片が凝縮されている
②台風の存在
「野分」、「二百十日」
=日本人が古くから台風を恐れ、その襲来を予期する言葉であり、
外国人にとっては空虚な単なる言葉として響くだけ
※明確な季節の存在は、外国人からも指摘される、日本の素敵なところの一つと言える。
また雨や雪の呼称の多彩さは、TVCMなどでも取り上げられるように、
現代人にとってももはや珍しいものとなってしまった。
しかし、天気のような微妙な変化を多方面から捉え、
それぞれに美しい言葉を与えるということは、「虫の音」を「noise」と言いかねない
欧米人にはわからないかも知れませんね。
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