あるがままを、味わい、楽しむ。それが日本人 日本人の自然観(昭和10年10月 『東洋思潮』より)-③
~日本人の日常生活~
(1)食生活
①太古
・魚貝や鳥獣の肉を常食としていたと思われる
②弥生以降
・南洋または大陸からいろいろな農法が伝わる
・一方で肉食を忌む仏教の伝播とともに菜食が発達
・その中から米穀が主食物となったと思われる
③肴
・「さかな」と読み、「酒菜」とも書く
・このことより、副食物は主に魚貝と野菜
・ともに種類、数量とも豊富
・新鮮な物が手に入りやすい所に主要な人口が分布していた
・余計な手間をかけずに新鮮な材料本来の美味を、それに含まれた
ビタミン(注3)とともに、損なわれない自然のままで摂取するのが
最適であることを知っていた
(注3)ビタミン
この場合、今日的なビタミン以外にもミネラルなども含まれると思われる
④食物の季節性
・季節に応じた食用の野菜魚貝の年周期的循環が、
それだけでも日本人の日常生活を多彩にしている
→「はしり」を喜び「しゅん」を貴ぶ
※料理という技術が発展するということは、
裏を返せば素材のままでは食べられない何がしかの理由があるということ。
「日本料理」というもののイメージが漠然としているのは、
逆に言えば調理の必要がないほど素材がよく、そのままでもおいしくいただけることの証。
そして、素材のままをいただいているから、「はしり」や「しゅん」を
敏感に知ることができる。
技術も大事かもしれないが、旬の素材をそのままいただける幸せを、
日本人なら味わいたいものである。
(2)衣服
①素材
・植物性の麻布や綿布が主要な材料
・毛皮や毛織物はたいていが輸入品
・日本の気候には麻や綿が向いていると思われる
・養蚕の輸入後は、それがまたちょうど風土に適したため絹布は輸出品となるほどに
成長した
②様式
・近代では洋服が普及したが、固有な和服が跡を絶つのは考えにくい
→冬湿夏乾の西欧で発達した洋服が、冬乾夏湿の日本の気候で育った和服に比べて、
生理的効果が優れているかは、科学的研究を経た上でなければ判断しにくい
→日本に来ている西洋人が夏に好んで浴衣を着たり、ワイシャツ一つで
軽井沢の街を歩いているのを見ても、和服が決して不合理ということではないと言える
→しかし、日本の学者はそういう身近なテーマについて研究したがらない、
不思議な学風がある
※ワシも夏場は甚平を愛用しとります。
ダボダボのTシャツとかも悪くないんだけど、
汗かいてもまとわりつかないのが、甚平の素敵なところ。
浴衣ともなると、最近では男女別なく夏の風物詩的になりつつありますな。
着物となるとフォーマルすぎることもあってなかなか着る機会はないが、
和服が復権しているのはいい傾向と思われる。
(3)家屋
・木材が主に使われている
・いたるところに良材が繁茂していたから
・頻繁な地震や台風の襲来に耐えるため平屋か二階建て
・五重塔などは特例
→これは建築に示された古人の工学的才能であり、現代学者でも驚嘆するところ
・床下の通風を良くして土台の腐朽を防ぐのは、高温多湿の気候には絶対必要で、
これを無視して造った文化住宅は数年で根太が腐る
→一方で田舎の旧家には百年の家が平気で建っている
・ひさしや縁側を設けて日射と雨雪を遠ざける工夫は、日本の気候に適応した巧妙な設計
→西洋人も東洋暖地に来てようやくバンガローのベランダ造りを思いついたほど
・障子もまた存外巧妙な発明
=光線に対しては乳色ガラスのランプシェードのように光を弱めずに拡散する効果を持つ
=風に対しても、その力を弱めつつ適度な空気の流通を調節する効果を持つ
・屋根の勾配やひさしの深さなどには南国と北国でそれぞれ固有な特徴を持つ
・近来は鉄筋コンクリートの住宅も増えつつある
=地震や台風、家事に対する抵抗力は申し分ない
→分厚い壁が熱伝導を遅らせるために、夏の初半は屋内の温度が高く、
冬の半分は乾燥が激しい
→長い将来の間にまだ幾多の風土的試練を経た上で、はじめてこの国土に
根を下ろすことになるであろう
※以前も触れたが、東京スカイツリーには五重塔と同じ「心柱」が用いられている。
これなどは、現代建築が風土的試練を受けた末に生まれた
一つの完成形と言えるだろう。
いっぽうで鉄筋コンクリートの住宅は、エアコンや除湿器、加湿器などの
電化製品を利用して弱点を補おうとした。
しかし、それらによる内外温度差が、例えば結露や、
例えばエアコンを原因とする冷え性など、
結果として様々なひずみを生んでいるわけで、
そういう意味で言えばまだまだ風土的試練を受ける必要があると言えるかもしれない。
(4)庭園
・日本人の自然観の特徴を説明するのに格好な事例
・西洋の庭園
自然を勝手に手製の鋳型にはめて幾何学的な庭を造って喜んでいることが多い
・日本の庭園
なるべく山水の自然を損なうことなしに住居のそばに誘致し、
自分はその自然の中に抱かれ、その自然と同化気持ちになることを楽しみとする
・中国の庭園
本来は自然をかたどったものだろうが、むやみに奇岩怪石を積み並べた
貝細工の化け物のような庭は、純日本趣味の日本人の目には
自然に対する変態心理者の暴行に見える
・盆栽、生け花、床の間の花鳥風月の掛軸
=庭園の延長であり圧縮とも言える
・花見遊山、月見、星祭
=庭園の拡張と考えることができる
※この項を見ると、こぞって高尾山に登る理由もうかがい知れるというもの。
日本人に必要なのは、公園のような作られた緑地ではなく、
日本庭園のような凝縮された自然や、
あるいはそれこそ高尾山のような自然そのものであると言えるだろう。
そういうものが都会のそば近くにあれば、庭なしのマンションでも
問題ないのかもしれない。
(5)農林業
・日本人口の最大多数=植物栽培に関与
→(4)に関連して庭園的な要素を持つとしている
・農業者
=あらゆる職業者の中で最も多く自然の季節的推移に興味を持ち、
自然の異常現象を恐れる
→この事が彼らの不断の注意を自然の観察に振り向け、
自然の命令に従順に服従することによって、
その厳罰を免れ、その恩恵を享有するよう努力させる
(反対例)寺田の知り合いの忙しい実業家
寺田がその人に、眼前の若葉の美しさについて話したら、
その人は「なるほど、今は若葉時か」と言って、
初めて気がついたように庭上を見渡した
→気忙しくばかりしていて、時候のことについて考えたりする余裕がなかった
→こういう人ばかりでは農業は成立しない
※思えば最近若者の就農がブームになり始めているのは、
都会の気忙しさに若者が疲れたということなのか。
それとも、一億総中流化を経て生活を楽しむ余裕が生まれてきた証拠なのだろうか。
(6)漁業
漁師もまた、日々の天候に対して敏感な観察者
→古老の中には、気象学者もまだ知らない空の色、風の息、雲のたたずまい、
波のうねりなどの機微なる兆候に対して、尖鋭な直感的洞察力を持っている
→長い間命がけの勉強で得た超科学的科学知識により、
海の恩恵を受けつつ海の禍を避けることを学んできた
→山幸彦と海幸彦の神話に代表される、海陸生活の接触混合が
大八洲国(=日本)の住民の対自然観を多彩にし、豊富にしたことは疑いもないこと
※関東平野や十勝平野以外に広大な平野を持たない日本では、
もともと山と海が接近している。
最近の研究で、山の恵みが海を育んでいるという事が知られ始めているが、
昔の日本人は経験則か感覚か何かでそれを知っていたのではなかろうか。
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