深遠なる空中放電の世界 怪異考(昭和2年11月 『思想』より)-②
②「頽馬」、「提馬風」、「ギバ」
・伝説の内容=馬を襲って斃死(野垂れ死に)させる魔物
・寺田の仮説Ⅰ=「セントエルモの火」などと類似する空中放電現象の類
・磯清(『民俗怪異篇』の著者)の説
A:旋風のようなものが襲来して、その際に「馬のたてがみが一筋一筋に立って、
そのたてがみの中に細い糸のような赤い光が差し込む」と、馬は間もなく死ぬ
その時、もし「すぐに刀を抜いて馬の行く手を切り払う」と、
その風が逸れて行って馬を襲わない
B:「玉虫色の小さな馬に乗って、猩々緋(黒みを帯びた深い紅色の織物)
のようなものの着物を着て、金の瓔珞(≒宝冠)をいただいた」女が、
空中から襲って来て「妖女はその馬(=子馬)の前足をあげて被害の馬の口に当てて、
後足を耳からたてがみにかけて踏みつける。つまり馬面にひしと組みつくのである」。
この現象は短時間で消え、馬は倒れる。
→両説は「馬の頭部の近辺にある異常な光の現象が起こる」という点で類似
・この怪異の起こる時間
濃州(岐阜県)では4月から7月で、5月6月が特に多い
武州、常州(東京、埼玉、茨城近辺)で4月から7月
・怪異の起こる天候=晴れては曇り、曇っては晴れる≒天候の不安定な日
・怪異の起こる時間=午前8時~午後4時の間。特に午後
・怪異の起こる場所=(例)一里塚
・馬を怪異から救う方法
A:ギバが襲ってきた時に、半纏でも風呂敷でも筵でも、
そういうものを馬の首からかぶせる
B:馬の尾の上の背骨に針を打ち込む
→Aほど重要ではない
C:普段からのギバよけとして、馬に「大津東町上下仕合」と白く染めぬいた
腹あてをさせる
・怪異の姿形
A;美濃=白虻のような、目にも見えない虫
B:常陸=大津虫と呼んでいて、玉虫色をしていて足長蜂に似ている
・寺田の仮説Ⅱ
A:旋風
→馬は急激な気圧降下のために窒息でもするか、内臓の障害を起こすだろう
→多くの場合、雷雨現象と連関して起こる
→これではまじないの意味がわからなくなってしまう
B:空中放電(仮説Ⅰと同様)
→「たてがみが立ち上がる」、「光の線条が見える」、「玉虫色の光が馬の首を包む」
といったことが、全て生きた科学的記述としての意味を持ってくる
→「衣服などで頭を覆う」、「腹部を保護する」ということも、
電気の半導体(衣服、腹あて)で馬の体の一部を被覆して、
放電による電流が直接その局部の肉体に流れるのを防ぐ、
という意味に解釈されてくる
→放電現象は夏の、日中に多いことは周知の事実
=時間分布もこれとよく符合する
・最後の疑問
=馬のこの種の放電に対する反応が実際どうであるのか?
=人間には何らの害も及ぼさない程度の放電によって、馬が斃死しうるかどうか
→馬は特に感電に対して弱い(専門家の意見)
→実験室で高圧電流を用いれば実験も可能だが、
それが怪異を完全に再現したものと言えるかどうかにも疑問が残る
※やや専門から外れるためか、正体に関しては結構控えめ。
しかし、それこそ放電実験を行える環境も当時より良くなっているようだし、
この方面に関してはO槻教授辺りの方が専門のような気がするので、
時間があったら誰かに取り組んでもらいたいですな。
ちなみに、この随筆の末尾に「機会があれば後を続けたい」と書かれている。
昭和10年末に寺田は死んでしまわれるし、
この後日本は戦争に突入していくこともありそれらしい随筆はないようだが、
まぁO槻教授みたいな人も現代にいることだし
そういう意味では寺田の思いは現代にも息づいているように思われるのだが…。
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