良くも悪くもオリジナリティが大事! 時事雑感(昭和6年1月 『中央公論』より)-①
前回は、思ったほど災害に関係なかった話を取り上げたが、
寺田のまた違う一面を見てもらえたと思う。
今回からの「時事雑談」は、またかなり興味深い話が続く。
3つの話が1作に入っているので、
前回同様お題別でお送りいたします。
(1)煙突男(Wikipediaに項目有)
ある紡績会社(富士瓦斯紡績川崎工場)の労働争議で若い肺病の男が…
・工場の大煙突の頂上に登って赤旗を翻して演説
・そのまま頂上に100何十時間(細かく言えば130時間強)も居座った
・そのうち、だんだん見物人も増え、わざわざ遠方から汽車で見物に来る者さえ現れた
・野次馬相手の屋台店まで出るほどの人だかり
・争議の解決後、寺田の行く研究所で屋上の一群向かって下の軍人が、
「争議は解決したから、もう降りてこい」とからかう
・同じく争議解決後、ある大学の運動会でも煙突男のおどけた人形が
余興に出され喝采を浴びた
→こうしてこの肺病の一労働青年は日本中の人気者となり、
その波動はまたおそらく世界中の新聞に伝わっただろう
寺田は、この男のしたことが、何ゆえこれほど人の心を動かしたのかを考えてみた
・新聞というもの勢力のせい(マスコミの伝播力の強さ)
・煙突男の所業のオリジナリティに対する賛美に似たあるもの
・その独創的計画をどこまでも遂行しようという耐久力の強さに対する嘆賞に似たあるもの
一方で寺田は、冷ややかな目にも注目
・彼は、不治の病を自覚して死に場所を求めていたに過ぎない
・一種の気違いの所業
→これら全ての見方に一理あるのだろうと寺田は考えるが、ふと寺田は、
『彼が自分の研究室の一員であったとしたら』と考え始める。
=誰の真似でも無い、そうして甚だ合目的(何らかの目的に適合した)な
この一つの所業を、自分の頭で考えついて、そうしてあらゆる困難と戦って
それを最後まで遂行できる人間が、もし充分な素養と資料とを与えられ、
そうして自由にある専門の科学研究に従事できたら…
→どんな立派な仕事ができるかも知れない、という気がした
※現代においても一理あると言えなくもない話
(例:秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込んだ話)。
とくに現代はネットの存在によって、伝播力はさらに高まってるし、
やたらめったら『ネ申』が降臨するご時世。
そういう意味で言えば、現代はチャンスが少ない不幸な時代なのかもしれない。
日本人には独創力と耐久力に欠けると言われていた
→いかなる程度まで統計的事実があるかは分かりかねるが、
少なくとも学術研究の方面で従来この2つのものがあまり尊重されなかったことは
疑いも無い事実
→従来誰もあまり問題にしなかったような題目をつかまえ、
あるいは従来行われなかった、毛色の変わった研究方法を遂行しようとする者は…
・誰からも相手にされない
・陰であるいはまともにバカにされる
・正面の壇上から叱られる
のいずれかの目に遭う
→それにも構わずいつまでもその研究に執着していると、しまいには気違い扱いされ、
その暗示に負けて本当に気違いになるか、周りを固められて八方ふさがりになる
=そういう風変わりな学者が逆境に沈むのは仕方ないことかもしれない
→しかし感情は感情として、本当の学問のために冷静な判断を下し、
泥土によごれた玉を認めることができたら、世界の、あるいは我が国の学問も、
もう少しどうにかなるかも知れない
=日本人の仕事は、それがある適当な条件を備えたパッス(≒通行手形)を
持つものでない限り容易には海外の学界に認められにくい
→そうして一度海外で認められて逆輸入されるまではなかなか日本の学界では
認められないことになっている
→多くの人から「あんなつまらないこと」と言われるような事柄でも、
深く研究して行けば、案外非常に重大で有益な結果が掘り出されうるもの
=自然界に古いも新しいも無く、つまらぬものもつまるものもない
→それを研究する人の考えと方法が新しいか古いか、などが問題
(例)昭和5年ノーベル物理学賞受賞のインド人、ラマンの場合
・インドの大学(マドラス管区大学)を卒業してから
衣食のために銀行員の手伝いなどを勤める
・勤めながら楽しみにケンブリッジのマセマティカル・トライポス(注1)の
問題などを解いてイギリスの学者に見てもらったりしていた
(注1)英国学士院の優等卒業試験。相当難しいらしい
・そのうち見出されて、カルカッタ大学の教授となった
・初期は、振動の問題や海の色の問題など、特に先端的でもない、
古色蒼然とした研究課題を自分だけは面白そうにこつこつとやっていた
・そのうちのティンダル効果(注2)の研究が、
いつの間にか現代物理学の前線に向かって密かに搦め手から接近。
(注3)チンダル現象とも言う、光の物理化学的現象の一つ。詳細はWikipedia参照
・分光器の入手とともに、「ラマン効果」(注3)と呼ばれる一つの発見を手に入れる
(注3)物質に光を入射したとき、散乱された光の中に入射された光の波長と異なる
波長の光が含まれる現象。
分子構造や状態を知るための非破壊分析法に用いられる(Wikipediaより)
→寺田が見るところ、ラマンも少し変わった人と思われる
=多数の人が血眼になって追いかけているいわゆる先端的研究に、
一見背を向けてのんきそうに骨董いじりをしているように見えて、
思いもかけない間道を先回りして突然先端科学の前に躍り出して笑っているような感じ
→もっとも、にわかにラマンの真似をしてもうまくいくというわけではない
=ただ、そういう毛色の変わった学者たちのことも長い目で見守ってあげて欲しい
※物理学上の難しい話がいろいろと出てくるが、
当時から役に立たなそうな研究をしている者(寺田も含まれるのか?)に、
日本の学界は冷たかったということ。
そして、「爆笑問題の日本の教養」なんかを見てもわかるように、
ここに書かれているような流れも相変わらずということが言えそうだ。
あと、「継続は力なり」、ということなんですかねぇ。
ラマンの話と煙突男の話は直接は関係ない
→しかし、ともに人まねではないことと、根気強いという点では似通っている
→オリジナリティがないと言われる国の昔話には、
人まねを戒める説話が多いのも興味のあること
→労働争議という、はなはだオリジナリティのない運動の中からこういう
個性的でオリジナルなものが出現して喝采を博したことも、
ひとつ不思議な現象であると言わなければならない
※日本にも「花咲じいさん」や「舌切雀」など、人まねを戒める昔話が少なくありませんなぁ。
今の日本などを見ても、相変わらずフォロワーばかりだし、
右へならえしてむしろ安心すらしているようにも思われる。
正直、中国や韓国のことは言えませんな。
あと、話によると「制限されている方が特化された技術がより研ぎ澄まされる」らしいので、
そういう意味ではオリジナリティのない労働争議の方が、
むしろ新しいものが生まれる可能性があったのかもしれない。
« 深遠なる空中放電の世界 怪異考(昭和2年11月 『思想』より)-② | トップページ | どうして人間って法則性が好きなんだろう? 時事雑感(昭和6年1月 『中央公論』より)-② »
「寺田寅彦で読む 『地震と日本人』」カテゴリの記事
- 「寺田寅彦で読む 『地震と日本人』」 第2期目次(2011.07.07)
- この国に生きる、ということ⑧ 『天災と国防』と日本が次に進むために(2011.07.07)
- この国に生きる、ということ⑦ 『津波と人間』とニュースな事例(2011.07.07)
- この国に生きる、ということ⑥ 修学旅行の意義を問う(2011.07.07)
- この国に生きる、ということ⑤ 遺構編(2011.06.16)
« 深遠なる空中放電の世界 怪異考(昭和2年11月 『思想』より)-② | トップページ | どうして人間って法則性が好きなんだろう? 時事雑感(昭和6年1月 『中央公論』より)-② »
コメント