日ごろの心の準備が防災の秘訣! 火事教育(昭和8年1月)
今回は、タイトル通り家事のお話。
元ネタは、日本初の高層建築物火災である白木屋火災。
といっても、言ってることは今までと基本的に同じ。
しかし、そこは人災の代表格である火事。
天災とは、人のあり方も変わってくるわけで…。
昭和7年12月16日 白木屋デパート(注1)火災発生
=日本の火災史にちょっと類例の無い新記録を残した
→犠牲は大きかったが、この災厄が東京市民に与えた教訓もまた甚だ貴重
→しかし、せっかくの教訓も、肝心な市民の耳に入らず、また心にしみなければ、
あれだけの犠牲は全く何の役にも立たず煙になってしまったことになるだろう
→今回の火災については、消防方面の当局者はもちろんのこと、
建築家、デパート経営者など直接利害を感じる人々の側では、
すぐに徹底的な調査研究に着手して、とりあえずの災害予防法を研究しているようだ
→しかし何よりも大事なのは、市民の火災訓練によって被害を軽減する方法については、
見当さえつかないように見える
(注1)白木屋火災(詳細はWikipedia参照)
日本初の高層建築物火災(地上8階、地下2階)
死者=14名 負傷者=500名余り
※寺田の持論は、「平時にいかに怠りなく備えるか」と言える。
もちろん、起こった時の対処や経験を後にどう伝えるかも大事なんだろうが、
起こった時の対処などは確かに平時から怠りなくしておくことが肝要でしょうなぁ。
学生の頃の避難訓練、適当にやってたなぁ…。
白木屋火災における消防当局の措置
=あの場合としては事情の許す範囲内で最善を尽くした
→火災直前にちょうど白木屋で火災時の消防予行演習が行われていたためもあって、
いっそう効力を発揮した
=(本文では触れていないが、白木屋火災の2週間ほど前に静岡の田中屋百貨店火災が
あったばかりなので、消防訓練はその絡みと思われる)
→もし建物内の避難者たちにもう少し火災に関する一般科学知識が普及しており、
そうして避難方法に関する平素の訓練がもう少し行き届いていたならば、
死傷者数をもっと減らせたであろうことは、誰しも異論のないことだろう
→実に驚くべく非科学的なる市民、逆上した市民傍観者のある者が、
物理学も生理学も一切無視した五階飛び降りを激励するようなことがなかったら、
あたら美しい青春の花のつぼみを舗道の石畳に散らすような惨事もなくて済んだだろう
→こうして白昼帝都の真ん中で衆人環視の中に行われた殺人事件は、
不思議にも司直の追求を受けず、また市人の何人もこれを咎めることなしに、
そのまま忘却の闇に葬られてしまった
=実に不可解な現象と言わなければなるまい
→発生時刻が朝だったからまだいいようなものの、
昼食時前後の混雑する時間に起こっていたら、おそらく死傷者は10数倍では足りず、
事によると数千の犠牲者を出していたであろうと想像される
→そういう場合でも…
・火の伝播がいかに迅速でも発火と同時に全館に警報が鳴り渡る
・かねてから手ぐすね引いている火災係が各自の部署につく
・良好な有力な拡声器によって安全なる避難路が示される
・群衆は落ち着き払って号令に耳をすまして静かに行動を起こす
・階段通路をその幅員尺度に応じて2列3列あるいは5列などの隊伍を乱す事なく、
また一定度以上の歩調を越す事なく、軍隊的に進行する
とやれば、見事に引き上げられるはずである。
→では、なぜそれができず、多くの場合群衆が周章狼狽するのか?
=火災の伝播に関する科学的知識が欠乏しているから
・火がおよそいかなる速度で、いかなる方向に燃え広がる傾向にあるのか
・煙がどういう具合に這って行くものなのか
・火災がどのくらいの距離に迫れば危険であるか
・木造とコンクリートとでは燃え方がどう違うのか
こういったことに関する漠然たる概念でもよいから、
一度確実に腹の底に落ち着けておけば、驚くには驚いても決して極度の狼狽から
知らず知らず取り返しのつかぬ自殺的行動に突進するようなことは無くて済む
→同時に、消防当局のの提供する避難期間に対する一通りの予備知識と、
その知識から当然生まれるはずの信頼とを持っておりさえすれば、
たとえ女子供であろうともそう慌てなくて済むはず
※当時のデパート業界には、横の連絡とかないんですかねぇ…。
あと、野次馬の無責任さにも言及してますな。
今はそういう直接的な野次馬はだいぶ減ったでしょうけど、
クレーマーやらネットでやいのやいのいう人たちが増えてますから、
ある意味では状況はあまり変わってないかもしれないですね。
※警報設備や館内放送なんかは、現代ではかなり充実してますな。
あとは当事者の心掛け次第でいくらでも被害を少なくできるってことなんでしょうけど…。
※これが書かれたのは昭和8年だが、
この後日本は取り返しのつかぬ自殺的行動に突進するわけだが、
それはとりもなおさず政府(軍部)の情報統制の賜物であることが、
このことからもよくわかる。
正しい情報が行き渡れば、それに伴った判断や行動も可能になるはずなのにね…。
そして今回の原発問題に関しても、同じようなことが言えるわけで…。
この無謬性に基づく隠蔽体質は、どうにもならんのですかねぇ…。
しかし、このような訓練が実際問題として、
現在のこの東京市民にいかに困難であろうかということは、
試しにラッシュアワーの電車の乗降に際する現象に注意して見ていても、
直ちに理解されるであろう
=東京市民は骨を折ってお互いに電車の乗降をわざわざ困難にし、
従って乗降の時間をわざわざ延長させ、車の発着を不規則にし、
各自の損失を増すことに全力を注いでいるように見える
=同じ要領でデパート家事の階段に臨むものとすれば、
階段は瞬時に生きた人間の「栓」で閉塞されるであろう
→これに対処するための根本的対策としては、小学校教育ならびに家庭教育において
児童の感受性豊かなる頭脳に、鮮明なるしかも持続性ある印象として
火災に関する最重要な心得の一般を固定させるより他に道はないように思われる
※東京のラッシュアワーは、戦前からの伝統だったんですね。
まぁ現代の東京では、割ときちんと整列して乗っているようなので、
避難の時にそこまでひどいことにはならないと思われますが…。
※この後にも出てきますが、寺田のもう一つの持論に、
「小さいうちからの教育が肝要」というものがある。
しかし、学級崩壊という現実問題がある現代においては、
少なくとも家庭教育の面では全然足りてないというのが正直なところでしょうなぁ…。
火事は人工的災害
=地震や雷のような天然現象ではない
→この簡単明瞭な事実さえはっきり認識されていない
→火事災害の起こる確率は失火の確率と、それが一定時間内に発見され通報される
確率によって決定される、ということも明白に認められていない
→火事のために日本が年に何億円を費やして灰と煙を製造しているかということを知る
政府の役人も少ない
→火事が科学的研究の対象であるということを考えてみる学者もまれ
※現代では「防災白書」という形で統計を取ってますから、
その気になればいくらでも触れることができるわけですが…。
ただ、この点に関しては外国の方が研究が進んでいるともいえる
(それゆえ東京大空襲で東京は火の海にされたとも言えるが…)。
災害に関する研究は今回のことを機にますます盛んになるだろうから、
日本にも当然出る幕はあるだろう。交流を盛んにしておくのもいいことだと思う。
先日銀座伊東屋(今も同地にある大型文房具店)で開催された、
「ソビエトロシア印刷芸術展覧会」を観に行った時のこと…
→いちばん寺田の目を引いたのが、児童教育のために編纂された各種の安直な絵本
・日本の絵本=職人仕立て(≒工業的で作りが堅い)
・ロシアの絵本=芸術味の豊富なデザインを示し、子供だけでなく大人の好事家も
喜ばせるものがあった
→その中に「火事(ロシア語では「パジアール」と読む)」というタイトルの本があったので、
面白いと思い試しに買ってみた
=絵もなかなか面白いが、特にテキストが日本人が読んでも非常に口調がいいと
思わせる韻文になっていて、おそらくロシアの子供ならひとりでに歌わずには
いられないのでは、と思われるものだった
(以下あらすじ)
・1ページ目=消防署で日夜火の手を見張ってる様子
・2ページ目=お母さんの留守に小さい娘が禁を犯してペチカの蓋を開け、
跳ね出した火がどんどん燃え移って火事になる
・3ページ目=近所が騒ぎだし、家財を持ち出す。大事なサモワール(注2)も忘れない
・4ページ目=消防隊が繰り出す威勢のいいシーン
・5ページ目=消防作業。手押しポンプで放水しつつ、他の消防士が屋根に上がる
・6ページ目=二人の消防士が屋根から転落。勇敢な消防士が屋根裏から子猫を救出
・7ページ目=勇敢な消防士は子猫をポケットにねじ込んだまま、燃える屋根の上で奮闘
子猫が首と前足を出して様子を伺ってるのが愉快
・8ページ目=火事自体が勇敢な消防士に降参し謝る
・9ページ目=小さい娘が戸外のベンチで泣いているところに勇敢な消防士が、
猫を差し出し、慰める
・10ページ目=消防隊が名誉の負傷とともに意気揚々と引き上げて行く
=紙芝居にしても悪くない内容
→この程度の小さな小さな「火事教育」の本が我が国の本屋の店頭にどれだけあるか…
(注2)サモワール
単純に言えば湯沸かしポット。
ロシアなのでは伝統的に使われているもので、
石炭や炭を入れて湯を沸かし、蛇口からそのまま湯を出して使ったり、
上部にティーポットを置けるようになっているので、保温にも使えるようになっている。
凝った装飾を施されたものもあるし、
電気を使わないのでピクニックなどに持ち運べる小型のものもあった。
※こういう視点で絵本を読んだことがないので、ワシにはよくわかりません。
しかし、本文には1ページ目のテキストも載ってるのですが(ココでは割愛)、
きれいに韻を踏んでるし、確かに口ずさみたくなるような語調の良さもあるようです。
何より、あらすじだけで造りのうまさを感じさせてくれます。
この消防士さんは、きっととってもクールです。憧れます。
我が国の教育家、画家、詩人、ならびに出版業者が、ともかくもこの粗末な絵本を
参考のために一見し、そうして我が国児童のために、ほんの些細な労力を貢献して、
若干の家事教育の絵本を提供されることを切望する
→そうすれば、このロシアの絵本などよりは数等優れた、もっと科学的で有効適切で、
もっと芸術的にも立派なものができるであろうと思われる
→そういう仕事は決して一流の芸術家をはずかしめるものではあるまいと信じる
=科学国の文化への貢献という立場から言えば、
むしろこの方が帝展で金牌をもらうよりも、
もっともっとはるかに重大な使命であるかも知れない
※確かに日本の場合、挿絵の仕事とかってあまりステータス感ないですね。
そういう絵描きさんは、悪く言えばお高く止まってるというか…。
もっとも、現代日本ではそういうところは漫画家さんの独壇場とも言えますけどね。
こんな時こそ、覚悟を持って災害マンガとか書いてくれる漫画家さんとか、
いないですかねぇ…。
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