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現場力も大事だが、国民ひとりひとりの自覚はもっと大事! 函館の大火について(昭和9年5月 中央公論)-②

現代日本人の科学に対する態度は非常に不可思議
=一方においては、科学の効果がむしろ滑稽なほどに買い被られている
=他方では、了解できないほどに科学の能力が見くびられている
→火災防止のごときは、実に後者の適例の一つ
=おそらく世界第一の火災国たる日本の消防が、ほとんど全く科学的素養に乏しい
 消防機関の手に委ねられ、そうして一番肝心な基礎科学はかえって
 無用の長物ででもあるように火事場からはいっさい疎外されている
※「理科離れ」なんていうのも、後者の例の一つと言えるでしょうなぁ。
 例えば学校の現場で、科学を学ぶことの重要性を、
 果たしてどれだけ伝えられていることやら…。
 「こんな楽しい実験がありますよ」と言って耳目を引きつけるだけでは、
 根本的な解決にはなってないのかも知れませんなぁ。
 ワシ的には、「理科だって生きる知恵」ぐらいのことを伝えられたら、
 少しは状況が変わってくるんじゃないかな、とか思うのですが…。

日本で年々火災のために
 ・灰や煙になっている動産不動産の価格=2億円超
 ・死者数=約2000人
→関東大震災の損害が大きくとも、それは80年か100年かに1回の出来事と考えるなら、
 毎年の火災を根気よくこくめいに持続し繰り返す家事の災害に比べれば、
 長年の統計から見ればかえってそれほどのものではないと言えよう
→年に2000人と言えば全国的に見れば僅少かも知れない
=それでも天然痘や猩紅熱で死ぬ数よりは多い
→年2億円の損失は、日本の世帯から見て非常に大きいとは言えないかも知れない
=それでも輸入超過年額の何割かに当たり、国防費の何十%にはなりうる
→これほどの損害であるのに、一般世間はもちろんのこと、為政の要路に当たる人々の
 大多数も、これについてほとんど全く無感覚であるかのように見えるのは、
 いったいどういうわけであろうか
=議会などでわずかばかりの予算の差額が問題になったり、またわずかな金のために
 大勢の官吏の首を切ったり俸給を減らしたりするのも結構ではある
=しかし、火災による損失を少しでも減らすことをたまには考えてみてもいいのでは…
→この損失を全くなくすことは困難だとしても、半分なり3分の1なりに減少することは、
 決して不可能ではない
→火災による国家の損失を軽減しても、直接現金は浮かび上がってこないかもしれない
=むしろ、かえって火災は金の動きの一つの原因になりうるかもしれない
→このことが、火災の損害に対する一般の無関心を説明する一つの要項であるには
 相違ない
→しかし、ともかくも日本の富が年々2億円ずつ煙や灰になって消失しつつある事実を
 平気で見過ごすということは、少なくとも為政の要路に立つ人々の立場としては
 あまりにも申し訳のない事なのでは…
※今回の地震で最終的にどのぐらいの被害額になるかわかりませんが、
 既に世界経済に少なからぬ影響を与えているわけで、
 今までそのことにほとんど無関心で陣取り合戦に明け暮れている政党政治家や、
 用途不鮮明の予算獲得に躍起になっている官僚連中は、
 相変わらずの体たらくで反省する気配すらない。
 もっとも、そいつらに信任を与えているのは、他ならぬ我々民衆なわけだが…。

文明を誇る日本帝国には、国民の安寧を脅かす各種の災害について、
それぞれ専門の研究所を設けている
 (例)健康保全に関するもの=伝染病研究所、癌研究所、衛生試験所、栄養研究所
   地震に関するもの=地震研究所、中央気象台(一部)
   暴風や雷雨に関するもの=中央気象台
→これらの設備には、いずれも最高の科学の精鋭を集めた基礎的研究機関を備えている
→しかし、理化学的火災研究所は日本中どこを探しても存在しない
→これは警視庁の消防部のような、
 消防設備方法に関する直接の講究練習機関とは違い、
 火災をひとつの理化学的現象として捉え、純粋な基礎科学的立場から根本的徹底的に
 研究する、科学的研究を指す
→火災の基礎的研究課題は無数に存在
 (例1)自然科学的問題
  ・近年アメリカでタバコの吸い殻から発火する条件についての研究が発表
   →それが日本の気候においてどれだけ適用されるか、日本人は知らない
  ・ガソリンが地上にこぼれた時に、いかなる気象条件のもとに、
   いかなる方向にいかなる距離で引火の危険率が何%であるか
  ・火災延焼に関する法則
   =風向、風速、気温の他、湿度や延焼区域の家屋の種類や密度など、
    様々なファクターが存在するため一様ではない
 (例2)心理学、社会科学的問題
  ・市民一人当たりの失火の比率
  ・失火を発見して即座に消し止める比率
   →これらを把握した上で消防署や消火栓の分布を定めなければ合理的とは言えない
→これらの研究は、物好きな少数の学者が片手間でできるものではなく、
 また消防吏員や保険会社の行う統計だけで安心するべきものではない
=国家の一機関として統制された研究所の研究室において、
 徹底的系統的に研究されるべきもの
※現代においては消防大学校があり、消防研究所があって様々な研究がなされている。
 その辺りはさすがに80年の年月の流れがあるわけで、
 戦前のような大規模火災というのは相当数防がれていて当然ともいえる。
 もっとも、まだまだ法整備が不完全だったり、ビルの利用者がいい加減だったりして、
 時にはけっこうな規模の火災が起きているわけだが…。

西洋では、日本のような木造家屋集団の火災は容易に見られない
=これに関して西洋での研究成果が稀なのも当然
→だからといって、日本が気兼ねして研究を遠慮する必要はない
=欧州に地震が少ないからといって地震研究を怠る必要がないのと同じ
→ノルウェーの理学者がオーロラの研究で覇を唱え、
 日本の地震研究が欧州で注意を引きつつある。
→それでも、灸治の研究をする医学者が少ないのと同じ特殊な心理(注1)から
 火事の研究を行う研究者が少ないのだとしたら、それは嘆かわしいこと
→アメリカには山火事が多く、また被害も甚大
=特別な科学的研究機関があり、各種の研究が行われている
=西部では「火事日和」というものを指定して、警報を発する設備もある
→日本でも4、5月ごろは山火事シーズン
=同じ日に全国各地でほぼ同時に山火事を発することも…
=そういう時は、たいてい活発な前線が日本海を縦断して次第に本州に迫っている時で、
 全国的に気温が急上昇してくるのが通例
→そういう時に、例えばラジオで全国に火事注意の警報を発し、
 各村役場がそれを受け取った上でそれを山林地帯の住民に伝え、
 青年団や小学生の力を借りて一般の警戒を促す方法を取れば、
 それだけでも森林火災の損害を半減するぐらいのことはできそうに思われる
→素人でも思いつきそうなそんなことを、まだどこでもやっているという話を聞かない
→そうして年々数千万円の樹林が炎となり灰となって、いたずらに兎や狸を驚かしている
→それを、国民の選良たる代議士で誰一人として問題視しない
 (注1)特殊な事情とは…
    明治政府が西洋医学を導入して以降、極端とも言える西洋医学偏重が進み、
    ハリや灸を含む漢方医学の排斥が進んだ。
    大正期以降、帝大を中心にそれらの効果に関する研究が再び行われたり、
    技術研さんも昭和期に入って再興されてきた。
    とは言え、一度絶えかけたものを回復させるのは、
    容易なことではなかったのかもしれない。

※現代においては、天気予報の「乾燥注意報」なんかがこれに当たるんでしょう。
 この点でも、当時と現代との間には80年という時の流れがあるわけだから、
 技術の発展など含めてこれらの素人考えが容易に行えるようになったことも確かだろう。

数年前、山火事に関する若干の調査をしようと思い、目ぼしい山火事があった際には
自分の関係の某役所から公文書でその山火事があった府県庁に掛け合って、
その山火事の延焼過程をできるだけ詳しく知らせてくれるように頼んだことがあった
→結果は大失敗で、どこからも何らの具体的報告が得られなかったばかりか、
 返事さえよこさない県が多かった
=おそらく、どこも単に「山火事があった」とか「何千町歩焼けた」という程度の事実
 以上の調査も研究もしていない証拠
→お役人さんが忙しいのはわかるが、お国のためと思って少しは面倒を見てもらいたい
=「山が焼ける」ことは間接的には飛行機や軍艦が焼けることになり、
 それだけ日本が貧乏になり、国防が手薄になる
=それだけ国民全体の負担は増すことになる
※今までテキトーにやってきたツケを、我々民衆に回そうとする
 「増税論議」が盛んに行われてるようであるが、
 自分たちの給料をまともに削ろうとしない議員や官僚の思考回路は、
 ホント理解しがたいものがありますな。

今回のような大火は文化をもって誇る国家の恥辱と考える
→昔の江戸でも家事の多いことが自慢の「花」なのではなく、
 消防機関の活動が「花」だった
→今回の災害を再びしないようにするためには、単に北海道民のみならず、
 日本全国民の覚醒が必要
   ・政府=火災の軽減を講究する学術的機関を設けるべき
   ・民衆一般=火災に関する科学的知識を吸収
          →小中学校の教程中に適当な形で火災学初歩のようなものを挿入すべき
   ・科学者=いわゆるアカデミックな洞窟を出でて火災現象の基礎科学的研究にも
          相当の注意を払うべき

~昭和9年4月5日の被害速報値~
 ・焼失家屋=71戸29棟
 ・消防手1名焼死、数名負傷
 ・罹災者=400名
 ・避難中の再罹災者=70名

昨日あったことは今日あり、今日あったことはまた明日もありうる
=函館にあったことが、またいつ東京や大阪で起こらないとも限らない
=考え得られるべき最悪の条件の組み合わせが明日にも突発しないとも限らない
=同じ根本原因のあるところに、同じ結果がいつ発生しないとも限らない
→全国民は、函館罹災民の焦眉の急を救うために応分の力を添えることを
 忘れてはならない
=同時に、各自自身が同じ災禍にかからないように覚悟を決めることがいっそう大切
→このような災害を避けるためのあらゆる方法施設は、
 火事というものの科学的研究にその基礎をおかなければならないという
 根本の第一義を忘れないようにすることが一番肝要
※この辺りは、このまま教訓になり得ることであるし、
 今起こっていることにも直接当てはまることと言えるだろう。
 だいいち、相変わらず余震が続いているわけだし、
 インドネシアでも地震があったように、このところ地震や火山噴火が活発である。
 それこそ、東海、東南海、南海連動型地震が近々起こらない保証はどこにもない。
 富士山直近で直下型地震もあったことだし、
 宝永地震の例もあるように富士山噴火などの可能性も
 視野に入れておかなければならないかもしれない。
 被災を免れた我々も充分な備えをしておくことが本当に肝要であると言えるだろう。
 「明日は我が身」という言葉もあるわけだしね。

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