天然の叡智も、人間の叡智も、本当はそこここに宿っているが… 静岡地震被害見学記(昭和10年9月 『婦人之友)
久しぶりに、純粋な地震ネタです。
しかし、曲がりなりにも中国と戦争状態に入ってる時にも、
小なりとはいえこうやって地震が襲ってくるわけですから、
うかうか戦争もできない、とか考えても良さそうなものなんですが…。
昭和10年7月11日午後5時25分頃 静岡地震発生
・マグニチュード6.4
・中部、関東、近畿東部にかけて、かなりな地震が感ぜられた
・震源近くの久能山山麓の2、3の村落や清水市の一部では相当の家屋損壊があり、
死亡者も出たが、被害としては極めて局部的
→先だっての台湾地震(注1)などとは比較にならないほど小規模
(注1)台湾地震=新竹、台中地震
・1935(昭和10)年4月21日発生
・マグニチュード7.1
・死亡者数=3279名(台湾史上最多)
・負傷者=11976名
・家屋損壊(小破~全壊の総計)=61685棟
・最大余震=同年7月17日(マグニチュード6.2)
・台湾中部に甚大な被害をもたらした
※台湾の地震事情については『災難雑考』でも触れられているが、
規模うんぬん以上に日頃の備えも違うだろうから一概に比較できないと、
ワシなんかは思うんだが…。
新聞では例によって話が大きく伝えられた
=新聞編集者は事実の客観的真相を忠実に伝えるというよりも、
読者のために「感じを出す」ことの方により多く熱心
→自然と被害の一番ひどい局部だけを探し歩き、その写真を大きく紙面一杯に並べ立てる
=読者の受ける印象では、あたかも静岡全市並びに付近一帯が全部丸潰れになった
ような風に、漠然と感ぜられる
→このように、読者を欺すという悪意は少しもなくて、しかも結果的に読者を欺すのが、
新聞のテクニック
※新聞報道の劣悪さ、というよりも煽動的報道の過激さは、
ワシの知りうる限りでも日露戦争の辺りからかなりひどかった。
あの戦争の時に相当懲りたはずなのに、気がつけば当時よりひどくなってさえいる.
新聞にしろ、それにぶら下がってるテレビにしろ、見てもらってナンボなわけだから、
煽情的になるのは仕方ないことなんだろうけどねぇ…。
7月14日の朝、寺田は東海道線に乗って現地に被害状況を見に行った
(1)三島駅
・どこに強震などあったらしい様子は見えない
・静岡の復旧工事の応援のため、青年団員が大勢乗り込んで来る
→この直接行動のおかげで、非常時であるという気分が、
はじめて少しばかり感ぜられた
(2)富士駅
・ごく稀に棟瓦が1、2枚こぼれ落ちているのが見えた
(3)興津駅
・富士駅周辺と大差なし
・寺田は「ひどく欺されているような気がした」らしい
(4)清水駅
・寺田下車。(地震)研究所の仲間と合流
・新聞で真っ先に紹介された岸壁破壊の跡を見に行く
→途中、ところどころの家の柱のゆがんだのや、壁の落ちている様子が目についた
=木造2階建ての家の玄関だけを石造したようなのが、木造部は平気なのに、
石造部が滅茶苦茶に壊れ落ちていた
→岸壁が海の方にせり出して、その内側が陥没したせいで、
そこに建て連ねた大倉庫の片側の柱が脚元を払われて傾いてしまっている
=岸壁も、よく見るとありふれた程度の強震で壊れなければならないような風の設計に
はじめからできているように見えた
=設計者が、日本に地震という現象があることをつい忘れていたか、
それとも設計を注文した資本家が経済上の都合で、
強い地震が来るまでは安全、という設計で満足したのかも…
→地震が少し早く来過ぎたのかも知れない
→岸壁だけ見ると、実際天柱は砕け地軸も折れたかという感じが出るが、
岸壁から半町と離れない在来の地盤に建てたと思われる家は少しも傾いていない
=天然は実に正直
※液状化現象が研究されるようになったのは戦後のことであるようだが、
それ以前にも宅地造成や港湾設計などは当然行われており、
その際には液状化現象への懸念など当然なかったわけである。
もちろん、耐震強度の研究などもまだ進んでなかっただろうし、
やはり借り物の技術というものには弱点があるということなのだろう。
そして、現代においても日本人は、それを完全にものにしていないと言えるかもしれない。
(5)久能山登山口近辺
・登山口の右手にある寺(=徳音院?)の門が少し傾き曲がり、
境内の石灯籠が倒れていた
・堂内には年取った婦人が大勢集まって合唱していた
→慌ただしい復旧工事の際の邪魔になる婆さんたちが時間を潰すために
ここに寄り集まっているのでは、と寺田は想像したが、事実は不明
・久能山山麓を海岸沿いに南下するに従って損害が急に目立ってきた
=庇が波形に曲がったり垂れ落ちかかったりしてる
=障子紙が一コマ一コマ申し合わせたように同じ形に裂けている
=石垣の一番端っこが口を開いたりするという程度からだんだんひどくなって、
半壊家、全壊家が見え出してきた
=屋根が軽くて骨組が丈夫な家は、土台の上を横滑り
→そうした損害の最もひどい部分が細長い帯状になってしばらく続く
=どの家も同じようにだいたい東向きに傾き、またずれているのを見ると、
揺れ方が簡単であったことがわかる
→関東大震災などでは、とてもこんな簡単な現象は見られなかった
・とある横町をちょっと山の方に曲がり込んでみると、奥にちょっとした神社があって、
石の鳥居が折れ倒れ、石灯籠も倒れている。
=御手洗の屋根も横倒しになって潰れている
=御手洗の屋根の4本の柱の根元を見ると、土台のコンクリートから鉄の棒が
突き出ていて、それが木の根の柱の中軸に掘り込んだ穴にはまるようになっており、
柱の根元を横に穿った穴にボルトを差し込むとそれが土台の金具を貫通して、
それで柱の浮上を止める仕掛けになっていたらしい
→しかし、柱の穴にはすっかり古い泥が詰まっていて、
ボルトなどを差し込んであった形跡がない
=理由として考えられるのは…
・つい差すのを忘れた
・手を省いて省略した
・一旦差してあったのを盗人か悪戯な子供が抜き去った
→このボルトが差してあったら、多分この屋根は倒れずに済んだかも知れない
→少なくとも子供だけには、こんな悪戯をさせないよう家庭や小学校で教えるといい、
と思われた
→関東大震災の時、小田原で見かけた小さな祠の一対の石灯籠
=海岸沿いのそれは、珍しく倒れずにちゃんと直立していた
→不思議に思って調べてみたら、台石から火袋(=灯籠の火を灯す所)を貫いて、
笠石(火袋の上にかぶっている石)まで達する鉄の大きな心棒が入っていた
=こうした非常時の用心を何事もない平時にしておくのは、いったい利口か馬鹿か
→是非はともかく、用心しておけばその効果が現れる日がいつかは来る、
という事実だけは間違いない
・神社の大きな樹の下に、「静岡全市何某小学校」と書かれたテントが1つ張ってある
=その下に、小さな子供が2、30人も集まっておとなしく座っている
=その前に据えた机の上に載せたポータブルの蓄音機から、
何かは知らないが童謡らしいメロディーが陽気に流れ出している
=若い婦人で小学校の先生らしいのが、両腕でものを抱えるような恰好をして
拍子をとっている
=まだ幼稚園にも行かれないような幼児が多いが、みんな一生懸命に傾聴
→震災地とは思えない長閑な光景であるが、震災地でしか見られない、
臨時応急の「託児所」の光景
→この幼児らの中には、我が家が潰れた者や、焼かれた者や、
親兄弟に死傷者のあった者もいるだろう
→しかし、そういう子供達がずっと大きくなって後に当時を想い出す時、
この閑寂で清涼な神社の境内のテントの下で蓄音機の童謡に聴き惚れた
あの若干時間の印象が相当鮮明に記憶に浮き上がって来ることであろうと思われた
※いかに災害に備えていようとも、それをきちんと機能させていなければ、
それは本当に備えているとは言えない、ということ。
耐震偽装問題のように備えをないがしろにしてきた例もあるし、
逆に運用がまずい例(生食肉問題とか)もあるので、
つまるところ個々人の気の使いようというところに収まってしまうのかもしれないが…。
※当たり前だが、被災地にも娯楽は必要だという話。
ものまねスターやらマジシャンやらが被災地入りしているのは、ある意味当然だと思う。
その一方でエライ人たちときたら、本当に気が利かないというか、
なんの責任も果たさずにただただ被災地入りするから叱られるんだよね。
しかも、どうせ警備上とか言って付き人いっぱい引き連れて行くんでしょう。
現地でカネ落としていくならまだしも、
案外「いい迷惑」って思われてるのかもしれないねぇ。マスコミにも言えることだけど…。
(6)平松、大谷
・被害の最もひどい区域で、公務以外の見物人の通行は止められていた
・救護隊の屯所などもできて、白衣の天使や警官が往来し、
何となく物々しい気分が漂っていた
・山裾の小川に沿った村落の狭い帯状の地帯だけがひどく損害を受けている
=特別な地形地質のために生じた地震波の干渉によるものか、
ともかくも何か物理的にはっきりした意味がある現象であると思われた
→しかし、それとは別にまさにそういう処に村落と街道ができていたということにも、
何か人間対自然の関係を支配する未知の法則に支配された、
必然の理由があると思われた
→故日下部博士(注2)が昔ある学会で「文明と地震との関係」を論じた、
あの奇抜な所説を思い出させられた
(注2)日下部博士=日下部四郎太
・地球物理学者
・岩石の弾性定数の測定研究と地震波の伝播速度の関連を研究
・1914年、帝国学士院賞受賞
・1924年、丹毒(ウイルス性の高熱を伴う皮膚病)で死去(享年49歳)
・「奇抜な所説」については、おそらく『地震学汎論』にあると思われるが、
手元に資料がないため詳細については不明。
※これほど災害の多い土地柄であるから、
集落や旧街道の成り立ちもそういうことと無関係ではないという話は、
これまでもたびたび論じられてきた話。
寺田は文筆家でもあるから、
当時の理化学者としてはかなり発信力のある方だと思われるが、
学内でも日々研鑽していることが、日下部博士の話を見てもわかる。
寺田の旺盛な好奇心がそれを支えてるんだと思うんだが…。
(7)静岡行のバス
・バスは寺田一行が乗ったことで満員になる
・途中で待っていた客に対して運転手がいちいち丁寧に、
「どうも気の毒だがご覧の通り一杯だから」と言って、
本当に気の毒そうに詫びごとを言っている
=客と運転手とはお互いに「人」として知り合ってるせいだろう
→東京では運転手は器械の一部であり、乗客は荷重であるに過ぎないから、
詫びごとなどはおよそ無用な勢力の浪費
・車窓から見える植物景観が関東平野のそれと著しく違うのが目に付く
=民家の垣根に槙(注3)を植えたのが多い
→東京辺りなら椎を植えるところに楠かと思われる樹が見られたりした
→茶畑というものも独特の感覚があるもので、
あの蒲鉾なりに並んだ茶の樹の丸く膨らんだ頭を手で撫でて通りたいような
誘惑を感じる
_(注3)槙=この場合、羅漢槙のこと。生垣によく用いられる
(8)静岡
・全滅したかのような報道をされていた市街は、
一見したところ何事もなかったように見える
・停車場前の百貨店の食堂の窓から駿河湾の眺望と涼風を享楽しながら、
食事をしている市民たちの顔を眺めても、非常時らしい緊張は見られず
・(百貨店の)屋上から見渡すと、なるほど所々に煉瓦の揺り落とされたのが指摘された
・停車場近くの神社(=静岡浅間神社?)で花崗岩製の鳥居が両方の柱とも
見事に折れて、その折れ口が同じ傾斜角度を示して、同じ向きに折れていた。
しかも、2つの折れ目の断面がほぼ同平面に近かった
→これが一行の学者たちの問題になった
=天然の実験室でなければ、こんな高価な実験は滅多にできない
=貧乏な学者にとって、こうしたデータは絶好の研究材料になる
→同じ社内にある小さな石の鳥居は事無きを得た
=その鳥居の素材について話していると、居合わせた土地のおじさんが、
「これは伊豆の六方石(注4)ですよ」と教えてくれた
=玄武岩の天然の六方石を使ったものであり、
天然の作ったものの強い一例かも知れない
・御濠(=駿府城の堀)の石垣が少し崩れ、その対岸の道路の崖も崩れている
=人工物の弱い例
→崖に立った電柱のところで崩壊の伝播が食い止められているように見える
=理由はまだよくわからないが、事によるとこれは人工物の弱さを
人工で補強することのできる一例ではないかと思われた
→両岸の崩壊箇所が向かい合っているのもやはり意味があるらしい
・(静岡)県庁の入口に立っている煉瓦と石を積んだ門柱4本のうち、
中央の2本の頭が折れて落ち砕けている
=落ちている破片の量から見ると、どうもこの2本は両脇の2本よりも
だいぶ(背丈が)高かったらしい
=門番に聞くと、確かにそうだった
・新築の市役所の前に、青年団らしい一隊が整列し、誰かが訓示でもしているらしかった
→やがて一同がわあっと歓声を揚げてトラックに乗り込み、
風のごとくどこかへ行ってしまった
→三島の青年団によって呼び起こされた自分の今日の地震気分は、
この静岡市役所の青年団の歓声によって終末を告げた
→帰りの汽車で陰暦十四日の月を眺めながら、一行の若い元気な学者達と、
時を忘れて地球と人間とに関する雑談をした
(注4)伊豆の六方石
火山活動によってできた柱状節理を、そのままの形で採掘したもの。
柱状節理とは、マグマが冷えて固まる過程で柱状(伊豆六方石の場合六角柱状)に
固まったもの。
形も良く硬いため、縁石や庭石などに用いられている。
※この辺りは、寺田の魅力が存分に描かれているところと思われる。
いろいろなところにアンテナを張っているし、ちょっとかわいらしいところもあるし、
科学者の悲哀も漂わせてもいる。
寺田はちょくちょく雑誌にこういった随筆を寄稿しているが、
現代ではこういう文章のニーズがないのか、あまり目につかない
(ワシの情報収集力が弱いだけかも知れないが…)。
こういう世情だし、せっかくの理系総理大臣なのだから、
らしさを発揮してもらいたいものなのだが…。
しょせん、サラリーマン総理大臣に期待するだけ無駄ということか…。
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