この国に生きる、ということ ~①前提~
第2期最終回として、現代において非常に防災意識の高い有珠山周辺の事例を
取り上げて行こうと思う。
理由は非常に単純で、ワシが見に行ける場所がここだったというだけなのだが…。
今回の事例を語って行く上で前提となる、有珠山と人々の関わりなどについて
まずは書き進めて行くこととする。
1:洞爺湖と有珠山
(1)洞爺カルデラ(=洞爺湖)
・約10万年前に起きた数度の噴火によって形成
・そこに雨水が溜まった事によって湖となった
(2)有珠山
・約2万年前の噴火以来、数度の噴火によって成層火山
(溶岩や火山灰などが積もって層を成してできる火山)となる
・約7000年前の噴火時に山頂部が爆発、山頂部に大きな陥没地形を生み出す
・その後休眠期間に入るが、1663年と1769年に噴火。
このいずれかで、現在「小有珠」と呼ばれる溶岩ドームが形成されたとされる。
・1822年の噴火では大火砕流が発生。また、現在では「オガリ山」と呼ばれる
溶岩ドームが形成された
・1853年の噴火では、現在「大有珠」と呼ばれる溶岩ドームが形成された
・1910年、山頂からではなく寄生火山の一つである金比羅山から噴火。
現在では「明治新山」、もしくは「四十三山」と呼ばれる溶岩ドームが形成された。
また、洞爺湖畔から温泉が湧出されたのが発見され、
それが現在の洞爺湖温泉に発展して行く
・1944年の噴火も山頂からではなく、東の台地からのもので、
そこの火口にできた溶岩ドームが現在「昭和新山」と呼ばれるもの。
・1977年の噴火は山頂からのもので、高度12000mまで吹き上がった噴煙が、
道内119市町村に火山灰を降らせた。
また、山頂部に現在「有珠新山」と呼ばれる溶岩ドームが形成された
・2000年の噴火では、西山や金比羅山から噴火。
1910年の時とは違い洞爺湖畔は人が集まる場所になっていたため、
最終的には16000人もの避難者を生んだが、幸いにして死者はゼロ
2:2000年噴火時の対応(=なぜ死者を出さずに済んだのか)
・噴火前に緊急火山情報が出せたこと
=頻繁に噴火する山でデータ量が豊富。
しかも、科学者の目から見て「予想しやすい山」
・前回(1977年)の記憶を持つ住民が多く、中には前々回(1944年)のそれを持つ人も…
=対処法を熟知しており、それを継承する教育にも熱心
=作成されたハザードマップを元に、危険地域を避けての避難誘導なども
行き届いている
・(歴史的経緯を踏まえて)山の恩恵に預かっているという意識が高い
・以上より山と共存する覚悟ができた、意識の高い住民たちがしたたかに生活している、
と言える
3:2000年噴火以降
(以下「平成12年11月6日開催 富士山火山防災シンポジウム PPT資料」より一部改)
~有珠山噴火災害復興計画~
・復旧、復興工事
=道路交通網、公共施設、砂防施設etc.
・有珠山周辺地域の土地利用
=ゾーニング、移転etc.
→遺構を残しつつ緩衝域を設けるため
・復興対策
=観光客誘致イベントの開催、雇用対策
・火山災害遺構の再評価
=天然の素材を活用し、「火山、火山災害、自然災害」を学ぶ新たな体験学習ゾーン
「エコミュージアム」の整備
→「ジオパーク」認定へ
~火山との共生(今回の噴火対応から)~
(1)減災は普段の取組みから!!
・火山に対する正しい知識を持つ(寺田氏の言う「正しく怖がる」ために)
・地域の災害史を郷土史として認識(記憶を風化させないために)
・周辺の景観、温泉は「火山の恩恵」(これまでの歴史を踏まえて)
・現在の正四面体(住民、行政、マスメディア、科学者の相互連携)の構築
(2)観光地としてのあり方
・防災(安全)対策の構築=観光客を招く側の責任として、体制確立は必要
(3)(1)、(2)を踏まえて
・安全性をセールスポイントにしつつ、新しい防災観光地を創造
→被害地を新たな観光資源としてポジティヴに捉える、したたかな発想
4:「ジオパーク」とは(Wikipediaより)
・ユネスコの支援による、地球科学的に見て重要な特徴を複数有するだけでなく、
その他の自然遺産や文化遺産を有する地域が、
それらの様々な遺産を有機的に結びつけて
保全や教育、ツーリズムに利用しながら地域の持続的な経済発展を目指す仕組み。
・日本では、「洞爺湖有珠山」の他に「糸魚川」、「島原半島」、「山陰海岸」が
世界ジオパークとして認定されている
・世界ジオパーク以外に、日本が独自に認定する日本ジオパーク(10ヶ所)がある
以上を基礎知識として、次回以降画像を織り交ぜて日本における
災害との付き合い方の一例を見て行きたく思う。
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