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この国に生きる、ということ③ 西山編-(2)

西山編の後編は、西山火口から虻田(噴火湾)側に降りて行く。

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西山火口展望台から虻田町(噴火湾)方面を望む。
2枚目は、1枚目中ほどにある被災した製菓工場。
地下からの地盤隆起と、上空からの火山噴出物の両方にさらされ、
無残な当時からの姿をそのままにとどめている。

西山山頂を越え、噴火湾側に下って行く。
その道路は、1977年噴火の後に避難道として造られた町道「泉公園線」なのだが…
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道路の直下で断層活動があり、6mの隆起があった。
土の山のてっぺんに乗っかっているアスファルト片が、
もともとは自分の足元と同じ高さにあったわけである。

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同じ断層活動によって地中に埋めていたボックスカルバート(函型管渠)が、
地上に浮き上がってきている。
2枚目は、そのすぐそばにある断層面。
こういった生々しい断層面を見る機会は、なかなかないだろうと思われる。
ポスト原発の一つとして地熱発電が検討されているようだが、
地熱の源となる火山とて、原子力に劣らない暴力的なパワーを秘めているということを、
忘れてはならないだろう。

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この町道は「泉公園線」というだけあって、景観にも気を配って、
こういった美しい松の並木を配していた。
観光に力を入れている町だけあって、避難道一つとっても様々配慮されているのである。

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先ほどの断層からさらに虻田側に下ったところにあった幼稚園舎。
製菓工場のように地下からの隆起は無かったようだが、
天井に空いている穴が火山噴出物の落下の激しさを物語っている。

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この幼稚園は、園庭にも入ることができ、そこに落ちた火山噴出物は
ある程度当時のまま置かれているのだが…
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(石の上に置いてあるのは、一般的な3色ボールペン(長さ約15cm)です)
このくらいの大きさの石(=噴石)がゴロゴロ落ちている。
ここが園児たちの遊び場であることを考えると、
ココに転がっている石は全部噴石であると考えていいだろう。
こんなものが何千、何万と噴き上げられ、容赦なく地上に降り注ぐのも、
火山噴火の恐ろしさの一つであろう。

洞爺側からこの遊歩道に入ると、この幼稚園が折り返し地点となる。
繰り返しとなってしまうので、西山編はこれまで。
次回からは洞爺湖温泉が生まれるきっかけになった、
1910年にも噴火している金比羅山に登ってみることとする。

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