この国に生きる、ということ⑤ 遺構編
車に戻り、金比羅山を降り、洞爺湖温泉街に入る。
洞爺湖ビジターセンターの駐車場に車を止めて、
前回上から見た「やすらぎの湯」や「桜ヶ丘団地」に近付ける遊歩道へと向かう。
遊歩道に行くには、まず導流堤を超えなければならないのだが、
超える前にその導流堤の上から1枚。
下から見ると、砂防ダムなどが逆に城壁のようで、
山への侵入を拒んでいるような錯覚に襲われる。
導流堤を超え、遊歩道に入る。画像左の壁は、全部導流堤。
表に見える鋼板の間を、工事中に出た掘削土砂で埋めて作られている。
火山灰質で振動が多いためか地盤の弱い有珠山麓では、
基礎の打ち込みができずコンクリートの構造物を立てるのには不向きなために
取られている工法だが、
廃物利用との一石二鳥を狙っている点が興味深い。
向こうに洞爺湖の中島を望める点から考えて、大浴場があったと思われる場所。
高台から温泉街と洞爺湖を望める絶好のビューポイントだったわけだが、
熱泥流と11年という年月がそれを覆い尽くしてしまっている。
唯一ココが共同浴場だったと思わせる痕跡が、このコインロッカー。
もともと何段あったかはわからないが、最上段を残して埋まっていることなどから見ても、
高さ1m以上の熱泥流が流れ込んできたものと考えられる。
国道230号線にかかっていた「木の実橋」の橋梁。
全体を無理にフレームインさせようとしてしまい、
かえって大きさが伝わらなくなってしまったが、
これだけの質量のものを80m以上押し流したのは、
熱泥流という質量を持った流れだからだろう。
通常の洪水や鉄砲水では、こうはいかないだろう。
大規模な土石流のことを「山津波」と言うが、
押し流す力で言えば海の津波に劣らないパワーがあるという意味もあるのかもしれない。
1棟残された「桜ヶ丘団地」。
ココの説明書きには、以下のようにある。
「(前略)被災した住宅を『公開しないで』と言う声も多く寄せられましたが、
噴火の遺構物として保存し火山噴火によるエネルギーの大きさと貴重な体験を
風化させることなく次世代に引き継いでいくことが何よりも大切であり、
この地域の減災、防災につながる事を期待しております」
東北では、今回の自身の痕跡を復興の邪魔になるという理由で
一つ一つ消されようとしている。
某ワイドショーで原爆ドーム(世界遺産)の例を引いていたが、
当地も世界ジオパークとして世界的に認知されているわけであり、
確かに東北の方々の気持ちもわかるが、
戒めの意味でも何か一つ二つ残すという選択肢はないものなのだろうか。
今まで散々忘れてきて、
津波が来るたびに大きな被害を懲りずに受け続けてきたわけだし…。
この棟が残された理由の一つが、この傷跡。
先に挙げた「木の実橋」が命中した時の痕跡である。
また、洞爺湖側から見て左側に当たるこのサイドは、
1つ前の画像でも分かる通り熱泥流により深く飲み込まれており、
本来5階あるこの棟の1階部分がほぼ完全に埋没している事が見て取れる。
現地の解説は以上。もっとも、有珠山や昭和新山も回ってないので、
これが全貌だと思われても困るのだが…。
次回からは、こういった教訓がこの国では必ずしも活かされていないのではないか、
という話を今まで取り上げた寺田氏の随筆を元に紐解いて行くこととする。
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