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コノハナノサクヤビメとイハナガヒメ ~繁栄か長命か~

原発を再開して再び繁栄の道につくか、
不安定でもニューエネルギーに国運を託すか、
原発を排して節制して慎ましく行くのか、
日本は重大な岐路に立たされていると言える。
そこで思い出したのが、『古事記』のある一節でる。
以下にそのまま抜粋する。
なお出典は、文藝春秋から出ている『口語訳 古事記[完全版]』の
「神代編 其の六」からである。

(前略)
_さて、アマツヒコヒコホノニニギは、あるとき笠沙の岬に出かけて、
うるわしいおとめごに出逢うたのじゃった。そこで、
「だれの娘ごか」
と問うたところが、おとめは答えての、
「オホヤマツミの娘、名はカムアタツヒメ、またの名はコノハナノサクヤビメと申します」
と言うたそうじゃ。それでまた、
「そなたには、兄弟hいるか」
と尋ねるとの、
「わが姉、イハナガヒメがおります」
と答えた。
 それでニニギが、
「われは、そなたを妻にしようと思うが、いかがか」
と問うと、
「わたくしにはお答えすることができません。あが父、オホヤマツミがお答えするでしょう」
と答えたのじゃった。
 そこで、その父オホヤマツミに妻乞いの使いを遣わしたところがの、
オホヤマツミはとても喜び、姉のイハナガヒメも副えて、
山ほどに盛り上げたいくつもの契りの品(結納品)を持たせての、
ニニギの許に嫁がせたのじゃ。
 ところが、その姉のイハナガヒメはひどく醜いお顔の方での、
ニニギはひと目見るなり畏れおののいてしもうて、親許へ送り返してしまい、
その弟ごのコノハナノサクヤビメだけを留めての、一夜の契りを交わしたのじゃった。
 すると、父のオホヤマツミは、イハナガヒメを返されたことを大いに恥じての、
怒りをこめて、ヒコホノニニギに詛いの言葉を送ったのじゃ。

  わたしが娘二人を並べて奉ったわけは、イハナガヒメをお使いになれば、
 天つ神の御子の命は、たとえ雪降り、風吹くとも、いつまでも岩のごとくに、
 常永久に、変わりなくいますはず、また、コノハナノサクヤビメをお使いになれば、
 木の花の咲き栄えるがごとくに栄いますはずと、祈りを込めて娘たちを差し上げました。
  それを、かくのごとくにイハナガヒメを送り返して、
 ひとりコノハナノサクヤビメだけをお留めなされたからには、天つ神の命は、
 山に咲く木の花のままに散り落ちましょうぞ。

 それでこのためにの、今に至るまで大君たちの命は長くなくなってしもうたのじゃった。
まあのう、人はもともと草とおなじ生まれじゃで、
生えては枯れ、枯れては生えるものなのじゃが、大君は天つ神の末じゃで、
このことがなければ命の極まることはなかったのかもしれぬがのう。
(後略)

何が言いたいのかと言うと、日本人が敬愛して止まない天皇陛下のご先祖様も、
一時の繁栄に目が眩んで長命を捨てていた、という話である。
日本が「黄金の国」とまで呼ばれたのも今は昔、
ろくな資源を持たない今の日本が、それでも往時の繁栄を手に入れようと、
手っ取り早く原発を再開したいと思う気持ちもわからないではない。
しかし、ワシはこの一節が警句なのではないかと思っている。
朝鮮戦争という僥倖によって今の繁栄を手に入れた日本。
それを「奇跡」と言い、我々は再び立ち上がれると鼓舞する気持ちもわからないではない。
しかし、しょせん「奇跡」であって、あのような僥倖が二度と訪れるとは、
現代の世界情勢をみる限りとても思えないわけで…。

ま、前例大好きの日本人のことだから、ニニギと同じ選択をするんだろうけどね…。

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