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この国に生きる、ということ⑥ 修学旅行の意義を問う

思えば、ワシが洞爺湖に初めて来たのは、小学6年生の修学旅行の時で、
今回はそれ以来だったわけで、それは今からもう25年も前のことになります。
札幌から洞爺湖ならそう遠くないと思われるかも知れませんが
(実際列車で2時間弱ですから、東京ー日光よりも近いんですが…)、
実際問題そうそう行くところじゃないんですよねぇ
(単にウチが貧乏だから、というのもありますが)。
競合も多いですし(近くは定山渓、朝里川。札幌ー洞爺間なら登別の方が近い)、
やはり泊まりとなると、それなりの出費を覚悟しなければならないわけで…。
お手軽な観光地とは言えないところがありますし
(そういう意味では、小樽という強力な競合者がありますが…)、
興味の無い方には決して楽しい場所とは言えない場所でもあります。
ワシにしたところで、今回の地震みたいなことがなければ
死ぬまで足を向けなかったかも知れません
(本当の目的が別にあったというのもありますが)。

で、今回の主題である「修学旅行」の話なんですが、
25年前と言えば当然2000年噴火の前ですから遺構が残ってるわけではない
(むしろ団地なんかは現役だったはず)ですが、
かと言って例えば有珠山や昭和新山に行ったかと言うと、
これまた記憶が非常に曖昧でして…。
多分行ってないか、脇をすり抜けた時にバスガイドさんが軽く説明してくれたかなんか
(多分していても聞いてなかったと思うが…)
という程度だったような気がします。
行く前に予習した記憶も、行ったあとに復習した記憶もほとんどないですし…。
でも、多分多くの方が同じような感じだったのではないかと思います。
法隆寺の坊さんの説話がつまらなかったとか、
ジジ臭い寺やら神社やらばっかり回ってつまんなかったとか、
覚えてることは深夜にイタズラした(された)こととか、
ディズニーランド行ったとか…。
字面だけ言えば、コレのドコが「修学」なんだ、と今更ながら思うことがあります。
だいたい、私立の学校を中心に、学校での勉強は受験偏重気味で、
修学旅行でたとえなにがしか学んで来たとしても、
それが受験に直結したという話を、ワシは聞いたことがありません。

しかし大人になった今、「もう一回修学旅行で行った◯◯に行きたいなぁ」
と思っておられる方は、多分少なくないことでしょう。
ワシにしたところで、今回の洞爺湖は実際行ったわけですし、
京都なんか1週間ぐらい使ってじっくり回り直して見たいと思うことがしばしばあります。

イマドキの若い子は、ネットで見聞きしただけで、現地に行った気になれる
「省エネ」体質なので、ただ当地に行って説明を聞いただけでは、
もう二度と行きたがらないかもしれません。
そういう意味では、最近の農業体験などを盛り込んだ「体験学習」型の修学旅行に
向かっているという流れは、いい傾向でないかと思います。
せっかく積立をしてまでも行くような、学校生活の一大イベントなわけですから、
一生の、とは言わないまでもせめて5年や10年ぐらい、
体に、心に爪跡を残すような仕掛けを、
受け入れ側も学校側も考えて行く必要があるのではないか、
と私は考えるわけであります。

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