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この国に生きる、ということ⑦ 『津波と人間』とニュースな事例

1000年に1度と言われる大津波の中、
いくつかの生存事例が当然のようにニュースで取り上げられた。
まずは、岩手県宮古市姉吉地区に立つ、今や有名な石碑。
以下に、その碑文を書き写す。

高き住居は / 児孫の和楽
想へ惨禍の / 大津浪
此処より下に / 家を建てるな

まぁ、ここまではテレビなどでもよく取り上げられていたので、
知っている方も多いだろう。今回問題にしたいのは、この下に書いてある文言である。

明治二十九年にも
昭和八年にも津
浪は此処まで来て
部落は全滅し、生
存者僅かに前に二人
後に四人のみ。幾歳
経るとも要心あれ

そう。この碑文は、昭和三陸津波以降に立てられたことがわかる。
単純に言えば、ここも1度大きなミスを犯しているわけである。
まぁ、1度で済んでいるだけマシと言えばマシなのだが…。
ネットで調べる限り、どうも三陸沿岸の集落には同様の石碑が
何十ヶ所にも立てられているらしい。
そして、それよりも下に住居が建てられている画像もアップされている。
つまり、懲りない連中の寄り集まった集落が何十ヶ所もあるということである。
そりゃ、ニュースになりますわ。
そういう彼らの言い分はこうである。
 ・漁業で生きてるこれら集落の住民は、はじめは懲りて高所に住むが、
  それでは不便なのでだんだんと元の低地に戻って行く
 ・崖のように切り立った地形だから、すぐに高所に逃げられると思った
 ・昔から低所に住んでいるから、地縁を断ち難い
まぁ、そういうことなんでしょう。
だから、よそ者が合理的に「こんなところに住んでいては危険だよ」と言っても、
あなた方はなかなか聞く耳を持たないんでしょう。
(以下しばらく私見)
例えば、こういう集落の人々は、家をどうやって買ったんだろうか。
まさか、ローンなんか組んでるんじゃないだろうか。
いつ流されるかわからないような場所に、ローン組んで家建てるとか…。
それにあなた方、いつまでも体が自由に動くと思ったら大間違いですよ。
階段の上り下りにも難渋するようなお年寄りがいっぱいいそうな集落が多そうですから、
そんな急な崖みたいなところ、一気に駆け上がれると、まだ思ってらしたんですか?
それに、地縁とかおっしゃいますけど、
これらの集落はほぼ全滅に近いダメージを受けてらっしゃるんでしょう。
地縁も何も、よそから血縁を頼って来た人たちが意外と多いんじゃないんですか?
この国は、対して年月も経てないのに、何でもかんでも「伝統」にしたがるから…。

口汚く私見を述べ終えたところで、
寺田先生はそんなこと百も承知、という話を『津波と人間』で紹介しました。
・同追記では、明治三陸津波の後に建てられた石碑の末路も書かれていましたが、
 多くの集落ではその忘れ去られた石碑と同じような運命をたどっていたわけで、
 懲りないにもほどがあると言うか、呆れてモノが言えないと言うか…。
・歴史は繰り返すと言うか、同文中で明治三陸津波以降、
 一度は住民も懲りて高地に住んでいたが、5年、10年と経つうちに
 結局水辺に戻って行ったという話を載せている。
・「自然は過去の習慣に忠実」で、「頑固に、保守的に習慣的にやってくる」のだから、
 対抗しようと思うなら我々も習慣に忠実で、
 頑固で保守的になる必要があるかもしれない。
 「津波てんでんこ」のような教えを頑なに守った人が生き残り、
 またそれを語り継いで行くことは、有用な対抗策と言えるのではないだろうか。
・田老の「万里の長城」と呼ばれた防潮堤は、
 確かにあまりにも大きな津波の前に敗北した。
 しかし、それに頼り切って昔から残っている記念碑(田老にも残ってた)や
 「津波てんでんこ」の伝承(田畑ヨシさんの事例)を軽視して
 「万里の長城」に寄りかかった田老の住民が、自らこの厄災を招いたと、
 寺田の言説を借りれば言えるかもしれない。
・であるからこそ、孫子の言ではないが「敵を知る」ための教育とその浸透が、
 寺田は特に大事であると説いている。
 ただ、人は日々安穏に暮らすためにそういうことを忘れるのだ、
 というやや諦めに似た心情も吐露している。
 忘れないためのうまい仕掛けが大事だな、と
 ワシはジオパークを見て改めて感じ入ったわけである。

サラリーマン内閣には何もできない。
「菅直人を下ろせば前に進む」とか言っているマスコミは多いが、
他の誰がなったって結局利害調整に忙殺されるだけで何もできないだろう。
菅直人を擁護するつもりはさらさらないが、
どうせならボロ雑巾になるまで彼にやらせておけばいいと思うのである。
日本には、このご時世に進んで総理大臣になって全責任を負おうと考える政治家は
現れないだろうし、むしろ現れたらめっけもんだと思う。
そういう人間が現れたら、一度独裁をさせてもいいとさえ思う。
そうでもしないと、みんな目が覚めないんじゃなかろうか。

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