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映画 『二重被爆 語り部山口彊の遺言』(☆☆☆)

核兵器と原子力発電。
果たしてこのふたつを切り離して考えて良いものなのだろうか。
北朝鮮の例を引くまでもなく、
原子炉で用いているウランやプルトニウムは、
強力な核兵器へと転用が可能なのである。
そうでなくとも、チェルノブイリや福島第一のように、
一度暴走した原子炉を止めるのは簡単なことではない。

『99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方』
という本があるが、原子力に関しても概ねそういうことなのだろう。
これは、ポジティブにもネガティブにも捉えることはできる。
つまり、放射能の影響は今までの想定よりも
軽いとも言えるし重いとも言えるわけである。
またそうであるがゆえに、
学者たちの間でも報道でも両論出て相譲らないわけである。

今作の主人公山口彊氏は、まさに生き証人であった。
しかし、長くその口を閉ざしてもいた。
理由は、本人がなまじ元気であるからだったらしく、
彼が口を開いても説得力がないのではという、
周囲の思いからくるものだった。
しかし、他ならぬアメリカが
原爆投下後の広島や長崎での治験や
死亡者の臓器などを根こそぎ持ち帰り
研究している事実を考えれば、
核の影響力に関してはまだ手探りの状態というのが、
正直なところなのだろう。
そして、それを「安全なエネルギー」だと喧伝して
自国経済を潤わせようとしているのも、他ならぬアメリカである
(自国内では安全基準の問題で新規原子炉建設を30年以上も認めてないらしいが)。

日本は断固として原子炉建設に反対すべきだった、と言う言説もある。
同時に日本は低エネルギー自給国でもある
(エネルギーに限ったことではないが)。
しかも、自国内で満足に核のゴミを処理出来ない国でもある。
日本中どこ掘っても温泉が出てきかねないこの国の、
どこに埋められる場所があるというのだろうか。
しかも、仮に埋めたところで、
半減期を考えれば10万年単位の安全確保が求められる、
とんでもないゴミである。
アメリカと共同でモンゴルに埋めるという話もあったようだが、
日本国内で数限りなく起こった反対運動にさらされる事は必至だったし、
すでに正式に断られてもいる。
このまま原発を続けても、ゴミ処理の技術が確立しない限りは、
ゴミは増え続けるだけであり、
原発推進派は果たしてそこまで思いを巡らせて発言しているのだろうか。
電気がなくても、不便にはなるが死にはしない。
しかし、放射能によって食べ物や水が汚染されたら、
我々は生きていけるのだろうか。
時期も時期だし、改めて我が国に起きた災禍について考える、
いい時期だと思うし、そういう意味では非常にタイムリーな時期にぶつけてきた、
映画館側の努力が伺える作品。

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