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映画 『のぼうの城』(☆☆☆)

冒頭の備中高松城における水攻めのシーンを観ただけで、
今作の公開が1年も伸びた理由がわかる。
そういう意味では、非常に作り込まれた映画なのではあるが、
いかんせん忍城水攻め前後の中だるみがなぁ…。
良くも悪くも緊張感が無さ過ぎというか、
いくらなんでも緩み過ぎだと思うんだ。
まぁ、肩肘張らずに観るべき映画だったってことかな。

そんな肩肘張って観てたワシ的には、
やはり『孫子』のフレーズがいくつも出てくる。
まずは「謀攻篇」より
「凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ」。
兵を用いるにおいては、敵国を無傷で手に入れることを良しとする、
という考え方である。
この考え方は、重く見ているからこそできる発想だと思う。
なぜなら、相手の力を必要としているからである。
必要がなければ、敵兵ことごとく殲滅し、
焦土としても惜しくはなかろう。
ところが石田三成(上地雄輔)は、天下の大軍の威光をかさにきて、
忍城を押しつぶそうとした。
相手の存在を軽視し、侮ってさえいた。
ゆえに無辜の民を殺し、
あまつさえ水攻めで貴重な財産である農地までダメにしてしまった。
こういうことでは、天下を統一したとしても、
国全体が豊かになることなどありはしないのだ。

続けて、「火攻篇」より
「水を以て攻を佐くる者は強なり。
水は以て絶つべきも、以て奪うべからず」。
水攻めできるということは、それだけ総合力に違いがある
(もちろん攻めている側が強い)証拠だが、
水攻めで敵を分断することはできても殲滅の決定打になるわけではない、
という意味である。
2万vs5百なら、確かに石田軍の方が総合力で優れているだろう。
しかし三成は、秀吉の派手な部分しか見ておらず
(冒頭の描写がまさにそれを物語っている)、
忍城を見て即座に水攻めで落としたらかっこいい、
とでも思ったのであろう。
そして、そうすれば自然に落ちるだろうと思っていたことであろう。
しかし、備中高松城と忍城では、戦略的な状況が全然違うのだ
(『センゴク一統記』では、これから備中高松城の話になるので、
備中高松城の戦略的状況に関しては割愛)。
ラストを見てもわかるとおり、忍城が落城するかどうかは、
ぶっちゃけ関東攻めの大戦略の中ではどうでもいい話なのである。
それこそ秀吉の親心で、三成に戦功を挙げさせよう、
程度の話なのである。
三成はそれを理解せず、武功にこだわったのが、
この悲劇(喜劇?)の発端だったと言えるだろう。

まぁ、定石を外したから、歴史に名が残ったわけなんだろうけどね。
ゆえに「形篇」において、
「故に善く戦う者の勝つや、智名も無く、勇功も無し」と言っているのだ。

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