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映画 『I AM ICHIHASHI 逮捕されるまで』(☆☆☆)

人は何者にもなれるし、何者にもなれない。
市橋達也(ディーン・フジオカ)は、
生きるために逃げたが、
そのために彼は結果として市橋達也であることを
捨てざるを得なかった。
一方で、彼は自分の弱さを認めているようで、
一面において彼は弱い自分を捨てたかったようにも見える。
しかしそれは、市橋達也が犯した罪を認めることをせず、
それと向き合うことができない、
彼の弱さの具現に過ぎなかったのではないだろうか。
様々な偽名を使い、
何者にもなりすまして逃亡した彼。
しかし、どう転んでも市橋達也でしかない彼は、
結局そのいずれにもなり切れず、
逃亡を繰り返さざるを得なかった。

そして彼は、結果としてカネの力によって
追い込まれて行く。
サバイバル能力のない彼は、
結局文明の力に頼らなければ、
真水を得ることができなかった。
そのせいで、無人島生活も長続きせず、
カネを稼ぐために文明社会の中に身を投じざるを得ない。
しかし、そこには市橋に関する情報に溢れており、
また身分を偽る彼には、
働ける場所がごく限られていた。
その数少ない働き場所には、
社会の最底辺に住まう者たちが集まり、
市橋に最高1000万円の懸賞金がかけられたとなれば、
最底辺の生活から脱するために飛びつく者がいて、
むしろ当然の場所である。
働き場所さえ失った市橋の逃亡劇は、
こうして終わるべくして終わったのだが…。

今作の残念な点は、
市橋視点一辺倒なことに尽きるであろう。
まぁ、低予算映画だから仕方ないのだろうが、
つい先日もドイツ人が警察から逃げた事件があったように、
警察の初動が問題視される事件が昨今少なくないわけで、
当然その視点も盛り込まれて然るべきとは思うのだ。
懸賞金による相互監視のシステムも
賛否の分かれるところであろう。
いち早くこの題材に飛びついた、
ディーン・フジオカの目敏さは評価できるが、
もう少し広い視座で見るべき題材だと、
今作を観て改めて感じた次第である。

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