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映画 『スティーブ・ジョブズ』(☆☆☆)

タイトルの人物自体がカリスマであり、
一つのアイコンでもあるわけだから、
タイトルは直球勝負で問題ないわけであるが、
内容的には彼がガレージの中でAppleⅠを開発してから
(と言ってもベースを作ったのはウォズニアッキなのだが)、
会社が大きくなり、
そこから追い出され、再び返り咲くまでの顛末である。
ワシみたいな半ちくなコンピューターマニアでも、
だいたい知ってる話なのですごく驚くわけではないし、
『ソーシャル・ネットワーク』でも
似たような話はされてるわけだから、
目新しいことではない、とも言える。
まぁ、ジョブズも金融資本主義の犠牲者、
と捉えることができるわけだが、
その一因は彼自身が招いたわけであり、
今作ではもっと普遍的なテーマ。
例えば、会社のできるまで、
会社を大きくするということ、
会社が大きくなるということ、
会社は誰のものか、
そして「いいものが売れる」のか
「売れるものがいいもの」なのかという命題。
こうったものを考察するための
ドラスティックな例として観ていく作品と、
ワシは感じた。
そういう中で、一つ面白いと思ったのが、
ウォズニアッキがAppleを去る時にジョブズに言った
「オレがなぜヒューレット・パッカードを辞めて
お前と会社を作ったか。
それは、オレが作ったものをお前が褒めてくれたからだ」
という言葉。
今風に言えば、
「ジョブズが『イイね』をつけてくれたから、
オレはお前とやって行こうと思った」
ってことであり、
こういう人のつながりの素晴らしさに、
ジョブズがもっと早く気づいていたら、
ザッカーバーグの出番はなかったかもしれない。
しかし、ジョブズはそうではなかった。
理想主義者で、オタクちゃんで、唯我独尊。
もっと言えば人を人とも思わないところがあり、
それゆえに彼は足元を掬われることになるわけで、
毀誉褒貶の激しい人物だっただろうね、きっと。
しかし、彼を追い出す前後から、
Appleはすでに傾き始めており、
彼を追い出すとiMacぐらいまで、一部のファン
(ジョブズがいないのにAppleにジョブズの影を追っていた人々)
のためのマシンだったという印象だった。
そういう意味では、
ジョブズはハードを生み出す才を持ち、
また高い理想を掲げるという意味ではカリスマティックではあったが、
SNSのようなシステムを生み出すという意味では
一流ではなかったと言えるかもしれない
(確かにMac OSは革新的ではあったが)。
それに関して、作中では少ししか触れられていないが、
ゲイツ他人のシステムパクったのは、
アレが初めてじゃないからねぇ。

ジョブズがAppleを追い出されるまでは
なかなか見応えがあるが、
戻るってわかってるのに戻るまでの話を
あんなもったいつけた感じでされるのは、
正直白々しくて退屈だった。
いっそ、冒頭のiPod発表の下りを、
ラストにズバンと持ってきてもよかったのではないだろうか。
その方が締まりがあって良かったような気はする。

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