映画 『もうひとりの息子』(☆☆☆☆)
内容がだだカブリなので、当然『そして父になる』と比較して観てしまうわけですが、
ありとあらゆる面で『そして~』の上を行く出来。
これを観てしまうと、『そして~』なんて☆2コでも、何だったら1コでもいいぐらい。
まず、取り違いに至るシチュエーションの必然性が違い過ぎる。
きょうび、日本で取り違いが起きるなんて、
ホント医者がヘラヘラして「いや~、申し訳ございません」では
済まされないぐらいのレアケース。
また、両方の父親がとるリアクションも、フクヤマ(もはや役名すら思い出せない)とは違い、
「今いる子供が本当の子ども」と言って譲らない。
むしろ今作の場合、社会の方が圧倒的に偏狭で、
特にユダヤ教は血統まで問う宗教(まぁ、選民思想が色濃い宗教だからねぇ…)のため、
取り違えられたパレスチナ人のヨセフ(ジュール・シュトリク)は、
そのためにユダヤ人にもパレスチナ人にもなれないという苦悩を味わうことになる。
一方で、両家の父と父、母と母、息子と息子の交流が、
この作品をだんだんといい雰囲気にして行く。
最終的に別離を迎える『そして~』よりも練り上げられたエンディングを迎える今作は、
ややあっさり味のエンディングではあるが、
ある意味では家族同士の愛にあふれた決意を匂わせる。
こういう感じで、異民族間の融和が果たせれば、
世界も少しは平和になるんだろうけどねぇ…。
今作の世界にとって、取り違いは、国家を巻き込むような重大事である。
それに対して、『そして~』の中では、
フクヤマがひとりで大騒ぎしているようにしか思えない。
そういう作品をスピルバーグが評価したとか、
いったい何をどう評価したんだろうかねぇ…。
まだどっちも観てない、と言う人には、当然こっちをお勧めする。
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