« 映画 『フィルス』(☆☆) | トップページ | 「新・中央競馬予想戦記」 2014-02-08 »

映画 『ある精肉店のはなし』(☆☆☆)

『いのちの食べ方』的な牛の解体シーンが
始まりと終わりにある今作。
しかし、『いのちの食べ方』と違い、
手作業での解体なので、印象としては
かなり前にテレビで観たモンゴルでの羊の解体
(あれはあれで芸術的でさえあるのだが)に近い。

今作の舞台は大阪府貝塚市にある、
江戸末期から続く生産から直販まで一貫してやっていた
(屠畜場の閉鎖により今はできなくなってしまったが)
精肉店である。
牛舎から屠畜場に牛を連れて行き、
家族総出で皮を剥ぎ、腑分けし、枝肉にし、
それを持ち帰り、肉は自分たちで売り、
皮はなめして太鼓に加工し、腸から油をとり、
油かすはお好み焼きなどの具として卸し、
すじ肉も煮こごりにして売る。
レバーなどの話は作中には出てこないが、
これらも自前で売るなり卸すなりしているだろう。
要するに、捨てるところがないわけである。
文明社会の進展により
「生産と消費」が著しく分離した現代において、
稀有な存在であったわけである。

一方で、屠畜を生業とする者は、
江戸の頃なら「穢多」と呼ばれ、
現代に至るまで部落差別の対象とされてきた。
札幌在住のワシにはあまりよくわからん話なのだが、
今でもそれが原因で結婚を反対されることがあるぐらいだから、
まだまだ根深い問題なのであろう。
しかし、肉食文化を受け入れた以上、
彼らの仕事は貴重であり、
こういう仕事を引き受けてくれる彼らに対し
感謝こそすれ差別するなど…、
と部落問題と無縁なワシなんかは思うのだが…。

家畜市場が泉南で立っていた頃は牛の生産を
自前でやる必要はなかった。
しかし、家畜市場の衰退とともに、
家畜を自前で調達する必要に迫られて家畜生産を始める。
ところが今度は加工を行うための屠畜場が閉鎖されてしまったため、
家畜生産から撤退しなければならなくなった。
こういう現場がなくなるのは少々もったいない気もするが、
逆に言えばここまでよくも文明化の流れに逆らってきたと言えるだろう。

我々一般人は、直接屠畜の現場を見ることなく
のうのうと肉を食らっているわけである。
いや、肉ばかりではなく生きとし生けるものの命を食らって、
我々は生きながらえてるのである。
キリスト教徒などのように
大げさに神に感謝する文言を唱えることはないが、
「(命を)いただきます」という気持ちは、
忘れてはいかんと思うね。

« 映画 『フィルス』(☆☆) | トップページ | 「新・中央競馬予想戦記」 2014-02-08 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 映画 『ある精肉店のはなし』(☆☆☆):

« 映画 『フィルス』(☆☆) | トップページ | 「新・中央競馬予想戦記」 2014-02-08 »

2020年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ