映画 『ゆきゆきて、神軍』(☆☆☆)
フィルム版で観られる機会があったので、
観てまいりました。
「あの戦争に関して口をつぐんだ年寄りどものせいで、
いつまでもあの戦争の総括ができない」
と言っているワシとしては、
今作の主人公奥崎謙三の行動原理自体は、
共感できる部分が少なくない。
ただ、今作では彼の行動原理の原理の源泉を引き出すことをせず、
ただただ戦中にあったとされる部下銃殺事件(しかも8・15以降)と、
人肉食に関する糾弾に終始するばかりである。
しかも、戦後40年近く経過した1980年代になって、
彼はなぜこの手の活動を始めたのか、全く語られていない。
ドキュメンタリーと「やらせ」の垣根に挑戦してきた
原一男監督作品ということを考えると、
いろいろと勘繰りたくもなってくるが、
純粋にドキュメンタリーとして見ても、掘り下げ方が浅いようにも思われる。
しかし、今作の中で触れられる戦場での現実は、
大岡昇平作品でも語られていることであり、
いかに原爆や全国に行われていた空襲で被害者面したところで、
内外に隠しておくべき、やましい出来事であることに間違いない。
奥崎氏が詰問する当事者の口が重くなるのも当然である。
しかし、こういう暗部も含めて「総括」すべきであるのに、
天皇問題(奥崎氏もそれに関する件で2度逮捕されている)があるせいか、
上から下まで誰もまともに「総括」しようともしないのが現実である。
それでありながら、「戦後レジームからの脱却」とか、
靖国参拝とか、「総括」どころか先祖返り的な施策の連発である。
奥崎氏の手法は暴力的であり、決して褒められたものではない。
しかし、彼がつきつけているものは、まぎれもない戦争の現実である。
こういう方法でしか戦後を突きつけられないことはまことに残念ではあるが、
扇動者たるマスコミですらまともに向き合っていない現状である。
戦後70年をまもなく迎える現在となっては遅過ぎるかも知れないが、
封印してきた歴史を今からでも開陳し、
日本は戦後と真剣に向き合うべきであろう。
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