映画 『革命の子どもたち』(☆☆☆)
日独の赤軍でリーダーをやっていた女性たちと、
ともにジャーナリストをやっているその娘たちをめぐるドキュメンタリー。
母として、
活動家(テロリストと言うと、微妙に語弊があるような気もしたので…)としての、
重信房子(日本赤軍)とウルリケ・マインホフ(ドイツ赤軍)。
娘として、ジャーナリストとしての、
重信メイとベティーナ・ロール(彼女の姓は父方のもの)。
それぞれの視点が興味深いわけである。
先にも書いたように、ウルリケはともかく重信房子は、
日本赤軍のメンバーからも「事前謀議に参加していない」
という証言が得られており、
どちらかというと思想的リーダーというべきで、
彼女を20年も拘留できるなら、昭和天皇だって
(彼は事前謀議に参加していたわけだし)東京裁判で
有罪にすることは十分可能だったのでは、と思わなくもないのだが
(「神聖不可侵」を謳った旧憲法を盾に取られたら、反論のしようもないが…)。
とはいえ、親の世代が巻き起こした嵐のただ中に、
二人の娘は産み落とされたわけで、
幼少期は身分や名前を偽り、住処を転々としながらという、
人目を偲ぶような逃亡生活を余儀なくされていたわけである。
もちろん、母親と一緒にいては危険だったろうから、
母親と別れてそういう逃亡生活送り、
突然「母親が逮捕された」だの、「獄中で首吊って死んだ」
だのという情報に触れるのである。
彼女たちの生き様こそが、激動の現代史の縮図そのものと言えなくもない。
しかし、現代とはラディカルな時代である。
ベトナム戦争によって火がついた、赤軍派の革命的衝動は、
その終焉と、オイルショックという現実生活へのダメージによって急速に冷め、
80年代という束の間の平安を経て、
社会主義の崩壊、冷戦の終焉という融和の90年代を迎える。
しかし、それは第三世界の台頭と誘発し、
湾岸戦争が新たな引き金となって、9・11招来する
(重信メイは、作中で「9・11がイスラムへの理解を崩壊させた」と述べている)。
そこからの、アラブの春、あるいは「イスラム国」の跳梁は、
まさに現在進行形の出来事である。
重信房子にしろ、ウルリケにしろ、
こういう過激な方法論に対して間違っていたと言っているようだが、
イスラムは結局その過激な方法論で突っ走っている。
しかし、それはあくまでも「報復の連鎖」による結果であり、
その因果の鎖は少なくとも第二次世界大戦から、
あるいは十字軍やキリスト生誕の頃にまで遡るわけであり、
どっちが正しくて、どっちが間違っているとは、
一概には言えないわけである。
ワシは日本人なので、やはり重信家のほうを中心に観てしまうわけだが、
現代史のただ中にいた彼女たち(ウルリケ親子も含めて)の言葉は、
現代史を読み解く上で大きな助けとなると実感した。
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