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映画 『悪童日記』(☆☆☆☆)

戦争が人間を歪めていくということを、
見事なまでに描き切った怪作。
時代の歪みって、こういう弱いところに向かっちゃうんだよねぇ。

第二次世界大戦末期のハンガリー(枢軸国の一つ)。
軍人の父とその妻は、双子(今作の主人公)を
妻の母のところに疎開させることにした。
父は再び戦地に戻り、母は双子を疎開先に送ると
「必ず迎えに来るからね」と言い置いていずこかへ。
疎開先には母の母(ヴィジュアル的にはマツコDX的)がいて、
「働かざる者食うべからず」とばかりに薪を割らせ、水を汲ませる。
そして双子のことを「メス犬の子供たち」と呼ぶのである。
双子は、とんでもないところに来たと思いながらも、
「僕たちは強くならなければ生きていけない」と思い定め、
痛みに耐える訓練をし、盗みを覚え、空腹や寒さに耐える訓練も自らに課した。
そうして終戦を迎え、母が迎えに来(ココで母の本性が露になる)、
続けて父が迎えに来るが、
すっかりたくましく成長し、もはや両親を必要とはしなくなっていた
(ある意味では違うのだが)。
むしろ、双子は互いが引き離されることこそが、
何よりもつらいと思うようになっていたのだ。
そして彼らは、強くなるための最後の「訓練」を行うのだが…。

疎開先での話が主になるが、このテの話は
『はだしのゲン』なんかでも語られている、
疎開先あるあるみたいな話である。
しかし、彼ら双子はその中でサバイヴするために、
「悪童」となり、盗み、傷つけ、ユスるのである。
そういう話は戦後の混乱期の日本でも見られたことだし、
そういう意味でもあるある的ではあるのだが、
作中で「汝殺すべからず」という『十戒』の一節を持ち出し、
「でも実際にはみんな殺しあってるじゃないか」と司祭に詰め寄るのである。
宗教道徳なんてものは、ある意味いい加減なもので、
十字軍などはその顕著な例と言えるだろう。
まして、第二次世界大戦などは、キリスト教徒同士が殺しあってるわけで、
そこには宗教道徳もくそもないといえる。
『フューリー』の予告編の中でも
「平和は理想だが、歴史は残酷だ」と言っているように、
彼ら双子は環境に適応した結果悪童になったに過ぎないのである。

ワシは、「世の中を悪くするのは、いつの世も大人だ」と思っている。
彼ら双子は、大人の模倣をしているに過ぎない。
大人が教育によって子供たちをより良い方向に導いてやらなければ
(まぁ、この「良い方向」というのも欺瞞なわけだが)、
世の中が良くなるはずなどないのである。
純粋な双子が、いかに周りの大人によって悪に染まっていくのか、
見事に活写した、やはり「怪作」と呼ぶべき作品だろう。

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