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映画 『ドラキュラZERO』(☆☆☆☆)

『悪魔は誰だ』の時も、
「誰もが悪に堕ちる可能性を孕んでいる」と書いたが、
今作はまさに国を、家族を守るため、
もともと魔性を孕んでいた"串刺し公"ヴラド(ルーク・エヴァンス)が、
本当に悪魔と契約してしまうという話。
で、それが後の「ドラキュラ伝説」になっていく、というのが今作。

しかし、作中で起こるエピソードには、
やはり現代を思わせるエピソードが挿入されている。
「子供1000人を差し出せ」というオスマントルコの言い分もどうかと思うが、
国家と家族を天秤にかけて家族を取ってしまい、
ヴラドはオスマントルコの怒りを買ってしまう。
相手の兵力は圧倒的である。
そこでヴラドは「牙の山」に棲むモンスターの力を得ようと考える。
傷を癒し、人外の力を得る代わりに、
血の渇望に耐えなければ元の体に戻れず、
ヴァンパイアに堕ちてしまうという、まるで麻薬のようなデメリット。
そして、国防のために人外の力に頼るというのは、
隣の某独裁国家を見るようではないか。
そして、その某独裁国家ではまだ起きていないが、
その人外の力を恐れて唯一の国防力を否定しようとする民衆。
まぁ、宗教的に否定してかかってるのだから仕方ない面もあるのだが、
我が国日本だって憲法で国防力をある意味否定してかかっているわけで、
狂信が人の目を曇らせるというのはままあることなのかもしれない。
そして、愛が人を天使にも悪魔にも変えてしまうという現実である。
愛ゆえに、家族をいつくしむわけだが、
その愛ゆえに悪魔に魂を売ってでも守ろうと考えもするわけである。
毎年「愛は地球を救う」と言っている番組があるが、
愛があるから戦争も起こるし、
愛があるから盗み、殺すのである。

そういった苦悩を描くのが文学なり映画なりの一つの役割であり、
それをくみ取ってやるのが受け手の一つの使命であると思う。
リアルとファンタジーのバランスがビミョーな作品ではあるが、
出来の悪い作品ではないと思う。

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