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映画 『zone存在しなかった命』(☆☆☆☆)

東日本大震災では、結局潜在化していた問題が顕在化しただけ、
という考え方がある。
福島や宮城に関しては、
それを潜在化せていた原因の一つが原発の存在であり、
顕在化したことにより避難民の多くが地元に戻らないという選択をしている、
とも考えられている。
戻ったところで、コミュニティはズタズタ、仕事もないとなれば、
帰ったところで元の生活はおろか更なる貧困が待ち受けているわけである。

しかし、それ以上に悲惨なのは、そんな彼らによって置き去りにされた、
ペットや家畜たちなのである。
この件に関しては、原発事故のあった福島のみの問題ではあるが、
実に根深い問題をいまだに抱えていると言える。
もっとも、その根源は福島第一原発建設時に、
「心優しい」福島県民が明確な戦いを起こさなかったことから始まっているわけで、
以前からワシは「自業自得」と言って憚らないわけである。
そもそも、「出稼ぎをなくしたい」という家庭的な事情で
原発を導入したという話もあるわけで、
今日まで畜産を続けられたのには、原発の存在にも一因があったわけで、
そういう過去を無視して「放射能ばらまきやがって」とか言うのは、
正直どうかと思うわけである。
とはいえ、国のとった施策というのも問題で、
ペットも含めて福島第一原発から半径20㎞以内のそういった動物たちは、
避難の時点で持出禁止の上、以降随時殺処分という、
命を軽んじる行為をとったわけである。
とはいえ、これも日本では刑法上モノ扱い
(動物を殺しても器物損壊罪にしかならない)だし、
保健所の収容能力にも限界があるので、致し方ないわけである。
作中で問題にしているのは、実は本来こういった活動において主体となるべき、
私立の動物愛護団体なのである。
もちろん、まじめにやってらっしゃる団体もあるのだが、
相違まじめにやってる団体が実は大手の団体から
弾き出されているという現実が問題なのである。
例えば、大手はシェルター(一時避難所)の存在を重視していない。
だから、今回の地震でも保護できないし、
飼い主が持って帰るのを手伝うのも禁止、ということなのである。
まじめに動物愛護をやるとしてる方々は、
手弁当で、しかも警察の目をかいくぐり、
避難区域内で餌付けや水やり、果ては保護まで行ってるのである
(映し出される避難区域内の惨状もなかなかのものである)。

しかし、彼らの行動にも問題がないわけではない。
ペットフードの入った袋などのゴミを、はたして彼らは持ち帰ってるのだろうか。
確かに、周りの様子を見ても、どれがゴミなのか否かわからないような惨状ではある。
しかし、それとこれとは話が別だと思うのである。
ラストで、自虐的に「結局のところ自己満足なのではないか」
と語るところもあるが、
そう思うならなおのこと「立つ鳥跡を濁さず」なのではないだろうか。
家畜やペットといった、いわゆる「経済動物」たちは、
人間の存在なしには生きていけない、という場合もある。
『365日のシンプルライフ』のラストで語られた
「所有には責任が伴う」という言葉が、
今作においてはさらに重い響きを持つだろう。
「経済動物」は、無生物ではなく命ある存在なわけだから、
より所有には責任を伴う。
それを、いかに事情があるからとはいえ、
今日まで放置している飼い主はもちろん、
そういう状況を隠匿してなかったことにしている国家も、
所有に対する責任を果たしていないわけで、
そういう人々は人間の命も本当のところ軽んじているのではないのだろうか。

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