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映画 『あいときぼうのまち』(☆☆☆☆)

福島第一原発のある福島県双葉郡では、
終戦直前原爆用のウラン採掘が行われていたという。
それ以降の、双葉郡と原子力の70年を、
1945年、1966年(福島第一原発建設)、2011年(震災直前)、2012年(震災後)という、
4つの年代を舞台に描いたのが今作。
ヒューマンタッチではなく、
募金詐欺やテロまがいの行為、原発労働者の被爆問題など、
えげつないエピソードを隠すことなく描いている点に、むしろ好感を覚える。

放射能被曝が本格的に問題化されたのは、
おそらくスリーマイル原発事故以降だろうが、
その一因は原爆被害をせっせと集めていたアメリカにあるわけで、
そのアメリカが日本に原発誘致を推進したのは、
もっぱらGEなどの米国企業の論理によるところが大きいだろう
(今や、日本が世界に向けて同じことをやろうとしてるのだが)。
受け入れ側も、過疎問題を抱えていたわけで、
利害が一致したから田舎に原発が置かれたという面も否定できない
(もちろん、本当は危険性を理解していたから、とう疑念はあるのだが)。
とはいえ、用地買収におけるあの同調圧力は、
悪意が希薄なだけにたちが悪いよなぁ…。

「頑張って、と言われても、何を頑張っていいのかわからない」
というセリフが登場する。
まったく同感である。
そういうことを言っているやつこそ、頑張らなければならないのである。
何を頑張るかと言えば、
もう一歩彼ら被災者に歩み寄る勇気を振り絞ることである。
彼らの負った心の傷の深さは、
言葉や、カネで済まされるようなそんな甘っちょろいものではないのである。
そうでなくても、家財を流され、死体すら上がらないのである。
戦死者の遺骨が帰ってこない、あの戦争と同じではないか。
あの戦争の総括もできず、結局同じ過ちを繰り返した
この国のお偉いさん方の精神構造は、
あの頃から何一つ変わっていないのではないだろうか。

もっとも、我々日本人の忘れる速度の速さも問題ではある。
ワシとしては、実はそれには理由があって、
それはこの国にあまりにも大規模自然災害が多過ぎるからなのでは、
と考えているのである。
台風、火山、地震で、毎年のように日本のどこかで家財が流されているのが
この国である。
もしかすると、それはいちいちクヨクヨしていられないほどに、
日本人にとっては頻繁だからなのではないだろうか。
だとすれば、あの震災を風化させないことは、
国民性的に不可能というか、
だいたい当事者ですら忘れたいの実情なのではないだろうか。

既存のヒューマニズムあふれる震災モノとは一線を画す出来であると、
ワシは評価したいが、
少々好みの分かれる作品であることはワシも認めるところである。

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