映画 『サン・オブ・ゴッド』(☆☆☆)
新約聖書なりキリストの生涯について多少かじったことのある人なら、
今作を観てもそう大きな驚きはないだろう。
今作の見所は、キリストの伝記的な部分よりも、
彼を取り巻く世界情勢そのものをきちんとフィーチャーしてる点にあるだろう。
馬小屋で生まれたキリストと両親の元に、
突如として聖職者(らしき人)が現れて、
「その子は神に選ばれた、イスラエルの王になるべき御子です」
とのたまうのである。
普通の親ならキョトンとするところだろう
(今作では、前後のエピソードは無視してしまってるのでなおさらなのだが)。
とはいえ、キリストは順調(?)に成長し、
いつしか人々の前で「奇跡」を披瀝し、弟子を引き連れ、
「メシア(救世主)」と崇め奉られる存在となっていく。
それを面白く思わないのが、
他ならぬ先の聖職者と同じユダヤ教の大幹部たちである。
当時の彼らはかなり厳しい状況で、
ローマという権力そのものの侵略を受けて、
宗教的権威が脅かされているまさにそういう時期であった。
そこに、聖職者の頭越しに人々に対し赦しを与え、
いうなれば「生き神様」となったキリストの登場は、
まさに「泣きっ面に蜂」状態である。
エルサレムには、キリストを追って多くの人々が流入し、
また人々の中にはローマのやり方に異を唱える者も少なくなかった。
ローマ側は、その原因をユダヤ教に求め、
「混乱が拡大するならば、神殿を封鎖する」と通告してきた。
追い込まれた聖職者たちは、
秘密裏にキリストを拉致し、自らの手で裁くことで、混乱が沈静化すると考え、
キリストの弟子の一人であるユダを抱き込み、
さらにはローマ側に突き出して全ての罪を負わせようとした。
一方でローマ側も、彼を「ユダヤの王」として裁くことで、
ユダヤ教の権威失墜を図り、支配を確立しようと考えていたように思われた。
結果、キリストはゴルゴダで十字架に架けられ一度は死ぬわけであるが、
まぁ2時間そこそこで新約聖書の内容を咀嚼しきれるわけもなく、
なかなかに端折った内容になってしまった。
しかし、作中のキリストの発言を見ると
((例)私は、道であり、真理であり、命である)、
信仰の始まりは至って素朴なものであるということが再確認できる。
それが、いかなる経緯を経て既得権化するかというのは、
ほかならぬキリスト教が見事に体現しているわけで、
そういう意味ではキリスト本人は、今のキリスト教のあり方を、
どのように見ているのか気になるところではある。
信仰が宗教に変わる過程を見るという意味では、
まあまあ良くできていると思うが、
そういうことに興味が持てないとつまらない作品で終わってしまうんだろうね。
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