映画 『三里塚に生きる』(☆☆☆)
公称二千六百有余年を誇る、この日本という国家。
その真偽はともかくとして、
実際のところその国家を本当の意味で民衆は支持しているのかといえば、
甚だ怪しいとしか言いようがないわけである。
日本に住んでいる民衆にとって、
国家とは雲の上のさらに上にあるような存在で、
民衆は往往にしてムラ社会をやり続けていたわけである。
そこに国家から強制的に「ココに空港を作ります」と来るわけであります。
しかも、なんの話し合いもなしに、である
(こういう話は原発なんかでも聞かれる話ではあるが…)。
もっとも、話し合いをしたところで、変化に対して極端に弱い日本の民衆である。
今作で描かれるような三里塚闘争は避けられなかったことであろう。
さらに、時期も悪かった。
各地の学生運動が沈静化しつつある時期である。
国家に対してわだかまりを残している活動家たちの一部が、
現地になだれ込んできて、「支援部隊」と化し、
さらには三里塚の人々を組織化する。
バネは、縮めれば縮めるほど反発力が強くなるのである。
強制代執行で極限まで抑圧された三里塚の人々は、
ついに大規模な反攻をし、互いに死者を出すという、
まさにのっぴきならない状況を迎えてしまう。
一方で、三里塚の人々も一枚岩ではあり得ず、
和解や収用に合意する者を「裏切者」と指弾し、
内部分裂寸前まで行ってしまう。その最中、一人の若者が自殺。
純粋な若者たちは、その若者のために、さらなる闘争を仕掛けようとする。
これだけではないが、こういう事があって、
今の、あのイビツな成田空港はあるのである。
真面目にコンセンサスを取ろうとしても、それは遅々として進まず、
強制的に収用しようとすればやはり反発する。
国家の側は、正直そんなことも知らないのである。
そういうことでは、国家が民衆の支持を得られるはずもないのであるが、
一方でこの国の国土は平地が限られており、
しかも人口分布がまばらである意味どこにでも集落があり、
まばらに人が住んでいるという、
決して効率的ではない国土運用をしているわけである。
その上、それら集落の多くがすでに長く地縁を持ち、
離れがたい気持ちを作っているのである。
本質的には、お互い歩み寄らなければ解決しない話なのではあるが、
どっちも歩み寄る気配がなく、
相変わらず国家と民衆が乖離し続けているのである。
成田空港は、この国最大の玄関であり、
この国の形そのものを具現しているという意味で、
なかなか稀有な存在と言えるだろう。
そして、この問題が風化しているという事実が、
例えば福島の未来を暗示しているという意味では、
現代人が噛みしめなければならない現代史の真実の一つであると、
ワシは今作を観て思ったわけである。
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